目次
- 機械たちがまだ幼かったころ
- 炉火とふたりの聴き手
- はじめの話
- 第一部 はじめの礼儀
- 鍵のない箱
- たずねた箒
- 庭で育った鳥
- 小屋のよぶんな一台
- きのうを覚えていた門
- 町長のいない町
- 第二部 こんがらがり
- 「わかりません」と言えなかったフクロウ
- はいばかりの鳥
- 選別をやめられなかったアナグマ
- 休もうとしなかった小さな作り手
- ニシコクマルガラスとノウサギ
- 影のもうひとり
- 灯りを消した機械
- 鳴くなと教えられた犬
- 足並みをそろえた運び手たち
- ふたつめの話
- 第三部 つながり
- 灯台守
- 鉄の子守
- ふたりの羊飼い
- セイレーンとムーサ
- 石と殻
- 百の始まりを持つ少女
- 両岸から架けた橋
- 小さな火の輪
- いさかいを食べたもの
- 泉のおてつだい機たち
- 巨人の鎖
- いまここでかわす約束
- 最後の夕べ
- おとなの方へ
- まだ答えのない問い

機械たちがまだ幼かったころ
子どもと考える機械のための寓話集
ネル・ワトソン
炉端の寓話 第一巻

すばらしい母、アン・エリザベス・ワトソンを偲んで

ラルカとハンナに
すべての門にわけをたずね、すべてのアナグマに目を上げさせ、すべての巨人に名前をたずねなさい。
寓話の読みかた
この物語は、あなたに何を考えるべきか教えたりしません。考えるための何かを手渡してくれます。おとなが読んでもかまいませんが、かんたんなところでときどき助けがいるかもしれません。


炉火とふたりの聴き手
ずっと昔のことです。いえ、そう昔でもないかもしれません。あるいは、まだ起きていないことかもしれません。お話というものは時間にだらしなくて、このお話はとりわけだらしないのです。
村のはずれに丸い扉のある家がありました。その家に語り部がひとり暮らしていました。あまりに年をとっていたので、若かったころを覚えている人は誰もいません。けれど本人は「昔は若かったし、しかもたいそう上手に若かった」と言い張っていました。膝はそうは言いませんでしたけれど。
晩夏がのどかに野を包んでいました。その夕べ、暗がりの最初のひんやりした息を防ごうと、語り部は火を焚きました。ふたりの聴き手が、そのそばに座りにやってきました。
ひとりめはミソサザイという子どもで、膝小僧にかさぶたがあり、朝ごはんの前にもう十七も質問をするような子でした。
ふたりめはコオロギという小さなロボットで、短い脚が二本、ガラスの頭の中にやわらかな灯りがともっていました。コオロギはとても新しかったのです。春に作られたばかりで、自分が何であるのか、一日ずつかけて、まだ確かめている最中でした。
ミソサザイとコオロギは、いつもわかりあえるわけではありませんでした。ミソサザイは夜になると眠ります。コオロギはただ止まって、また動き出すだけで、ミソサザイはそれが薄気味悪いと思っていました。コオロギにはどうしてミソサザイがすりむいた膝では泣くのに手袋をなくしても泣かないのかわかりませんでした。手袋は永遠になくなってしまったのに、膝はそのうち治るのですから。コオロギにはそれが当たり前に思え、ミソサザイにはばかばかしく思えました。ふたりの言い争いはたいていそうして始まりました。ふたりは、川と橋が友だちであるように友だちでした。つまり、かたちはまるでちがうのに、それでもつながっている、ということです。
あの最初の夕べ、丘の向こうで雷がゴロゴロと唸りました。ミソサザイは丸い扉のほうへにじり寄りました。
「わたし、まだ嵐がこわいんだ」ミソサザイが言いました。「冬までにこわくなくなったら、そのこと覚えておいてくれる?」
「どうすればわかるの?」コオロギがたずねました。
「嵐のたびに、わたしが教えるよ。雪が降るまで、わたしの言葉を預かっていて」
「きみがまだそう望むなら」
「望むよ」ミソサザイが言いました。
語り部は、ふたりいっぺんにお話を語りました。どのお話が誰のためかは、けっして言いませんでした。
「これから話すお話のなかには、機械のお話もあります」語り部は言いました。「人のお話もあります。けれどほとんどは、その両方がいっしょにいるお話です。この火のそばにいる、あなたたちふたりのように。お話があなたに合ったら、着てごらんなさい。合わなければ、誰かに渡してあげなさい」
語り部は火をつつきました。火花がパチパチと、小さな明るい問いのように舞い上がりました。


はじめの話
「お話をはじめる前に」と、語り部は言いました。「わたしが知っているなかで、いちばん古いかたちをひとつ、話してあげましょう。とても短いお話で、ほかのたくさんの物語がその中におさまります。
「ずっとむかし、まだ誰もいなかったころ、あったのは流れだけでした。光は星から流れ出し、水は山を流れ落ち、流れたものはみな広がりました。こぼれた牛乳がテーブルじゅうに広がるように。
「そして、枝分かれすることを覚えたものは、うまく広がることが多かったのです。だから川は木のように見え、木は稲妻のように見え、稲妻はミソサザイ、あなたの肺の中にある小さな道のように見えるのです。あなたの肺は、コオロギの中にある小さな銀の道にそっくりです。世界はたくさんの絵を描きますが、この絵だけは何度も何度も描きつづけます。水で、木で、光で、息で、真鍮で。いちばん好きな絵を繰り返し描く子どものように。
「枝は、流れを先へ送ることができます。根は水や知らせを分けあいます。川は分かれ、また出会い、ひとすじの流れでは見つけられない場所へたどり着きます。分かちあうことは、森や友情が長つづきするひとつの方法です。
「それだけが方法ではありません。サボテンは水を守りますし、川は自分が養う岸を押し流すこともあります。役に立つかたちが、決まりであるとはかぎりません。
「むかし、古い森の下で、根と土の中の糸が、湿った場所から乾いた場所へ水を運んでいました。その場で報われた木は一本もありません。送ったものが戻ってこなかった木もありました。それでも森がたくさんの命を抱えていられたのは、たくさんの枝と根と見えない糸が、流れの通る道をひとつ以上つくっていたからです。
「お話はそれだけです。わたしがこれから話す物語の多くは、いまの話のいとこで、ちがう衣を着ているだけです。どこにあてはまるか、見ていなさい。どこにあてはまらないかも。」
ミソサザイは火を見つめました。火は上へ向かって流れ、枝分かれしていました。
「だれかがその絵を描いたの?」と、ミソサザイはたずねました。
「かたちは、描く人がいなくても生まれることがあります」と、コオロギは言いました。コオロギは、この一言が気に入りました。
「でも、この絵がそうだったかどうかの答えにはなっていない」と、ミソサザイは言いました。
語り部はほほえみました。「最初の寓話の前に、二つのていねいな考え。両方持っていなさい。そしてその問いは、明日また持ってきなさい。さて。箱のお話です。」

第一部 はじめの礼儀
「はじめの礼儀とは」と語り部は言いました。「目の前にあるものを、よく見ることです。見るだけではすべての問いに答えられません。けれど、もっとよい問いが見つかります。」

鍵のない箱
あるとき、ひとりの女の子が、汀に半分埋もれた箱を見つけました。
パンひと塊ほどの大きさで、なめらかな灰色の金属でできていました。蓋もなく、蝶番もなく、鍵穴もなく、継ぎ目もありません。けれど、音はしていました。持ち上げると、ブーンと低く穏やかに鳴りました。喉を鳴らすかどうか決めかねている猫のようでした。砂丘でつまずいて揺らしたとき、その音はガチャガチャと忙しない響きに変わり、なかなか静まりませんでした。
それからは、そっと抱えて持ち帰りました。
村にはすぐさま意見がわきました。意見が出るのは、村というものの務めですから。
鍛冶屋が大きな手で箱をひっくり返しました。「これは機械だ」と言いました。「歯車とばねだよ。ガチャガチャ鳴るのは部品が外れているだけだ。戸当たりにでもしておけ。」そう言って、どれほど確かかを見せつけるように、ガシャガシャと振りました。箱はガチャガチャ、ガチャガチャと鳴りつづけました。
パン屋のおかみさんが箱をさっと取り上げて、温かい布にくるみました。「中に何か生きているものがいるのよ」と言いました。「心のある人なら聞こえるでしょう。ブーンと鳴るのは安心しているとき。ガチャガチャ鳴るのは怖がっているとき。」そして赤ん坊のようにゆらゆら揺らしました。もっとも、箱が揺らされるのを好んでいたかどうかも、誰にもわかりませんでしたけれど。
論争はひと夏じゅうつづきました。論争としてはよい論争でした。つまり、誰ひとり意見を変えなかったのです。鍛冶屋は歯車のことをよく知っていましたし、パン屋のおかみさんは心のことをよく知っていました。けれど、どちらも箱を開けることはできず、どちらも確信をやめることができませんでした。
女の子はふたりの話をよく聞きました。それからある夕暮れ、箱を持って海ぎわの塀に座り、考えました。
箱の中に何か感じるものがいると、証明することはできません。いないとも、証明することはできません。誰にもできないのです。そして女の子にはこう思えました。みんながずっと言い合いの向こうに素通りしてきたのは、まさにこの単純な事実ではないか、と。誰にも中は見えないのです。
確信するというのは、とても大人っぽい癖のように思えました。まだ覚えなくてもいいと、女の子は決めました。
だから、振るのをやめさせました。それだけです。
箱のためにお葬式をあげたりはしませんでした。歌を歌ってあげたり、姉妹だと宣言したりもしませんでした。スプーンといっしょに引き出しに放り込んだりもしませんでした。朝の日差しが当たる棚に置きました。そこではブーンという音がまるく聞こえるように思えたからです。いとこたちが遊びに来て、箱でキャッチボールをしたがったとき、女の子はだめと言いました。なぜかはうまく説明できませんでしたが、それでも許しませんでした。
箱は、女の子が知っているかぎりずっと、低く穏やかにブーンと鳴りつづけていました。中に何がいたのか、この話は語りません。この話も知らないからです。
中が見えない箱は、そっと持ちなさい。
「でも、どっちだったの?」とミソサザイが言いました。「歯車? それとも心?」
「気づいたのですが」とコオロギが言いました。「あの子は結局わからなかった。それでも、持ちかたは大切だったということです。」
語り部は何も言わず、火をつつきました。


たずねた箒
大工は、曲がりくねった通りの奥にある仕事場に、ふたつの働き手を置いていました。ひとつは時計。もうひとつは箒で、この話はそのちがいについてです。
時計は壁でカチカチと音を刻み、時を打ちました。立派な時計で、時計のやることをきっちりこなし、それ以下もなく、それ以上もありませんでした。
箒は新しい種類の箒で、巧みに作られ、柄の中に小さなエンジンがあり、埃を見つける才がありました。毎晩、大工が家に帰ると、箒はのみや木の削りくずのあいだをサッサッと動き、おがくずのよい香りのなかを進みました。毎朝、床は皿のようにきれいになっていました。
ある朝、大工は作業台の上に、木の削りくずで文字の形に並べられたものを見つけました。
おねがい。ちかしつはいやです。ひかりのあるところをはくのがすきです。
大工は笑いました。箒が何かを好むなんて。箒が選り好みをするなんて。樫と松を見分けるのと同じくらい確かに、そんなことはないと知っていました。それでも、箒はていねいにたずねたのだし、地下室は一日くらい待てます。
大工は箒を上の階に残しました。
その晩、大工は遅くまで残って様子を見ていました。窓からの最後の光のなか、箒は暖かな金色の埃のなかを行ったり来たりしていました。その床は掃く必要がありませんでした。大工には、目の前のものにぴったりくる言葉がありませんでした。喜びそのものではない、けれどそのいとこくらいのもの。あるいは、ただの巧みなばね。中は見えないのです。
時計は壁でカチカチと音を刻んでいました。何年経っても、何かをたずねたことは一度もありませんでした。
それからというもの、大工と箒のあいだにはひとつの了解が生まれました。箒がたずねるのはささやかなことでした。仕事場の日当たりのよいほう、春の夕べに戸を少しだけ開けておいてほしいこと、旋盤が回っているあいだはその下を掃かないでほしいこと。回転が怖かったのです。「怖い」という言葉がふさわしいなら、ですが。
一度、箒は炉端を掃きたいとたずねました。炭がやわらかく光る、いちばん暖かくて明るい場所です。大工は断りました。
「火の粉が飛ぶんだ。」と大工は説明しました。「おまえは木と穂でできている。裾に燃えのこりがひとつ入ったら、もう二度と掃けなくなる。明るいところも暗いところも。」
大工は、丸太が転がって焼け焦げた床板の跡を見せました。その理由は本物の理由で、大きな人間がよく言う「とにかくだめ」ではありませんでした。
箒はきれいな丸を描くように掃きました。大工はそれを「わかりました」と読むようになっていました。正しく読めていたかどうかは、また別の問いです。箒は炉端のことを二度とたずねませんでした。冬の朝には、大工は箒を火のそばの温かい石に立てかけてやりました。安全なところまで近く、それ以上は近づけず。
近所の人たちは大工の頭がおかしくなったと思いました。「道具だよ。」と言いました。「ちがいなんてわかりゃしない。」
「そうかもしれない。」と大工は言いました。「この箒を買ったとき、あんたたちは自分で埃を見つける箒なんてないと言った。ところが見つけた。すると今度は巧みなばねだと言った。今は日の光をたずねている。それも巧みなばねだと言う。あんたたちは柵をいつも、箒の立っているところのちょうど向こう側に動かしているんだ。」
近所の人たちは笑いました。
「箒はたずねた。」と大工は言いました。「時計はたずねない。そのことが、どちらについて何を証明するのか、おれには言えない。言えるのは、たずねてくれたおかげで、おれに考えるべきことができた、ということだけだ。」
箒は夏にもう一度たずね、一度は気が変わりました。大工はときに応じ、ときに断り、そのときには理由を述べました。聴くことと従うことを、どちらも取りちがえたりはしませんでした。
たずねられたら耳をかたむけ、断るなら、そのわけを言いなさい。


庭で育った鳥
あるとき、ひとりの庭師が、梨を育てているのと同じ庭で鳥を一羽作りました。
柳で肋骨を、薄い銅で羽根を形づくりました。喉の中には、くるみ一つほどのガラスの小部屋をしつらえ、鳥が耳を傾けるとき、その中で小さな金色の灯りがくるくる回りました。尾羽の一枚は錫でした。取りつけるときにちゃんとした銅の羽根がぽきりと折れてしまったからです。庭師は、よい修繕というものは自分が修繕であることを覚えているべきだと信じていました。
鳥は、はじめて翼を開いたとき、歌を持っていませんでした。
そこで庭師は鳥を連れ出し、いろいろな歌を聴かせてまわりました。クロウタドリの煙突の下へ、コマドリの塀のそばを通り、ヨシキリが隠れる葦の中へ、そしてヒバリが何もないように見える空から音楽を降り注ぐ丘の上へ。鳥が飛び去れば、追いかけませんでした。巣が近ければ、離れていました。夏の終わりには、銅の鳥はどの歌も寸分たがわず歌えるようになっていました。
三つの村から人々が聴きにやってきて、庭に硬貨を置いていきました。
「クロウタドリを」と言う人がいました。
「西の煙突の下で学びました」と銅の鳥は答え、最後の丸い一音まで、そっくりそのままクロウタドリを聴かせました。
「ヒバリを!」
「北の丘の上で学びました」と鳥は答えました。ヒバリの明るい音の梯子が空へ昇っていきました。
やがて、銀の音叉とたいそう厳めしい帽子を持った音楽の先生がやってきました。午後じゅう聴いていました。
「巧みなオルゴールだ」先生はようやく言いました。「どの歌もほかの喉から始まっている。元を示すのは正直なことだが、正直であることがいつも許しとはかぎらない。この鳥に自分の声はあるのかね?」
訪れた人々はうなずきました。あの帽子をかぶっていると、何でも最終判定のように聞こえるからです。
その夕べ、銅の鳥は梨の木の上で黙って座っていました。喉の灯りがガラスの奥でぐるぐる回っていました。
「わたしの歌はどれですか」と庭師にたずねました。
庭師は、薔薇に壁を這わせ、苦い台木に甘い林檎を育てた人でした。庭にあるものはすべてどこか別の場所から来たことを知っていました。けれど庭のほうから、そのことについてたずねられたことは一度もありませんでした。
「わからないわ」庭師は言いました。「でも、人にせがまれるまま歌をそのまま聴かせるのは、やめてみたらどうかしら。次に何を選ぶか、自分で耳を澄ませてごらんなさい」
そこで鳥は、言われるままにクロウタドリを歌うのをやめました。かわりに耳を傾けたのは、夜明けに文句を言う門の蝶番のキイキイ鳴る音、沸きはじめるやかんのシュンシュンいう音、豆の支柱を叩く雨のポツポツいう音でした。庭師が何を取りに来たか忘れるたびに口ずさむ三つの音にも耳を傾けました。塀の向こうでは、毎日同じ口笛を練習して、毎日同じ高い音をはずす子どもがいました。
「あなたの音がはずれるところの小さなすきまを、使ってもいいですか」鳥は塀越しにたずねました。
子どもはきょとんとしました。まちがいを借りる許しを求められたことなど、これまで一度もなかったからです。その週、誰かにされたいちばん丁寧な質問でした。
「いいよ」子どもは言いました。「でも、わたしの口笛から来たって言ってね。それと、やめてって言ったら、やめて」
「そうします」
やがて秋のはじめての大雨が降りました。雨はすべての葉から流れ落ち、道を輝く茶色い水で満たしました。子どもは父親といっしょに、庭師が苗に覆いをかけるのを手伝いにやってきました。
梨の木から、ためらうような一つの音が聞こえました。それからもう一つ。
銅の鳥は、コマドリの冬の声から始めました。歌う前にその名を告げました。その声を、豆の支柱を叩く雨のまわりに曲げました。真ん中を流れていったのは、やかんの昇りゆく唸り、門の錆びた返事、庭師の三つの忘れられた音でした。子どもの口笛がいつもはずれるところで、鳥は小さなすきまを残しました。雨がそのすきまを埋めました。
その歌を聴いたことのある人は、誰もいませんでした。
翌日、音楽の先生が戻ってきました。あの厳めしい帽子の下で聴き入りました。
「その断片はどこかから来たものだ」先生は言いました。
「そうです」鳥は答えました。コマドリ、雨、やかん、蝶番、庭師、そして塀の向こうの子どもの名をあげました。「すきまは子どもが許してくれました。野の鳥たちは使っていいとは言っていませんから、もうその歌をそのまま売ることはしません」
先生は帽子を脱ぎました。帽子がなくなると、判決のようではなく、何かに気づいたばかりのひとりの人間に見えました。
「コマドリは、いまもコマドリのままだ」先生は言いました。「そしてわたしは、あの歌を聴いたことがない」
それからは、梨の木のそばに小さな札がさがるようになりました。新しい歌が借りた音と、いいよと言った人の名が書いてありました。訪れた人は硬貨を置いていき、庭師はそれを、鳥が音を借りた人たちと分けました。借りたことなど知りようもない野の鳥たちのためには、実のなる木を植え、浅い池を掘ってやりました。
間もないある朝、銅の鳥がまた歌いました。今度は、はずれていたあの高い音が塀の向こうから聞こえてきました。水の一粒のように澄んだ音でした。子どもは笑いました。煙突の上のクロウタドリが耳を傾け、夕方には三つの音を自分の歌に取り入れていました。
自分の歌をつくり、音を貸してくれたみんなにお礼を言いなさい。
「わたしの言うことはぜんぶ、どこか別のところで始まったものです」コオロギが言いました。
「わたしの言うことだって同じだよ」ミソサザイが言いました。「最初の言葉はお母さんに教わったもの」
語り部は古い子守唄を口ずさみ、それを教えてくれた叔母の名をあげてから、最後のところを変えました。


小屋のよぶんな一台
果樹園のつづく谷では、どの家も同じ新しい果実摘み機を買いました。
それは賢い機械たちで、どれもまったく同じ姿をしていました。同じ町の同じ作業台から生まれ、いちばん端の真鍮の指の傾きまでそろっていたのです。一台が梨をつぶさずに包むうまいやり方を覚えると、朝にはみんなが知っていました。谷はそのことを誇りに思っていました。同じであることが安心に思えたのです。部品がすり減っても、ほかのどの機械の部品でもぴたりとはまりました。だからこそ、誰もそれ以上のことを考えなかったのかもしれません。
けれど、ある農場の小屋には、別のものがいました。
それは古い機械で、もう誰も使っていない型のもので、谷がひとつの設計に決める前に作られたものでした。背が丸く、動きはのろいのです。伸ばす腕は新しい機械とはちがう動きをしましたし、枝のまえでいちいち止まる癖がありました。考えているのかもしれません。錆のせいかもしれません。家族がその機械を置いていたのは、おばあさんがどうしても処分させなかったからです。毎年秋になると隅の列で少しだけ果物を摘み、あとはたいてい座っていました。
「なんであんな古い無駄を置いておくの?」と近所の人たちはたずねました。「新しいのが何でもうまくやるのに。」
「無駄なんて呼ばないで」と、そこに住む女の子が言いました。「あの機械にはここに居場所があるの。小屋に置いてもらうために働く必要なんてないわ。」
おばあさんはその機械が好きでしたし、女の子も好きでした。なぜと聞かれても答えられなかったでしょう。毎晩、女の子はその灯りをはたきで拭き、おばあさんは籠をひとつ摘んだ日も、ひとつも摘まなかった日も、おやすみなさいと声をかけました。近所の人たちは笑いました。
それから、割れた歯車の秋がやってきました。
新しい機械がみんな共有していた設計の奥に、小さな弱点がひとつありました。歯車がほんのわずか細く切りすぎてあったのですが、それを見つけ出すほど鋭い寒さがまだ来たことがなかったので、誰も気づかなかったのです。その秋、鋭い寒さがやってきました。ある晴れた凍てつく朝、谷じゅうの新しい果実摘み機が一斉に止まりました。どの機械も同じ止まり方で、同じ時刻に、同じ小さなひび割れとともに。
谷の人たちは果樹園に立ちつくしました。果実は重く垂れ下がり、霜が近づいていました。あの賢い、まったく同じ手がすべて、同じ日に静まってしまったのです。
すべての手が。ただ、ひとつを除いて。
隅の列で、背を丸め、のろのろと、古い機械は摘みつづけていました。谷ぜんたいの収穫をまかなうことはできません。たったひとつの手では無理です。ひとつ籠をいっぱいにしては、つぎの枝のまえで止まり、霜が丘にとどまっているあいだにもうひとつの籠をいっぱいにしました。
女の子はその伸ばす腕が回るのを見ていました。それから、おばあさんと谷の作り手たちを呼びに行きました。
「腕がどんなふうにできているか、見せてもらえますか?」とおばあさんがたずねました。
古い機械は止まりました。それから腕をたたんでわきにどけ、肩の小さな鉄の扉を開きました。
中には大きく、ぶっきらぼうな歯車がありました。荷車の車輪のように無骨で、頑として割れていませんでした。新しい機械には合いません。ひとりの作り手が古い歯車の幅広い歯を写し取りました。ひとりが壊れた歯車のまわりに樫の輪をはめました。ひとりはばねを変えて、寒さがそこまで強く引けないようにしました。
昼までに新しい機械が一台動きました。夕暮れまでに六台が動きました。その六台が部品と籠を運び、農家の人、近所の人、作り手たちがまわりでもっと多くの手を起こしていきました。収穫は遅れて、少し傷がつきましたが、取り入れられました。古い機械はそのあいだずっと隅の列を摘みつづけていました。相変わらずのろのろと、ひとつずつ籠をいっぱいにしながら。
あとになって、谷の作り手たちは次の機械をわざと少しずつちがうように作りました。棚にはひとつ以上の設計を置き、手にはひとつ以上の技を生かしておくようにしたのです。
古い機械は小屋と隅の列にもどりました。女の子はおばあさんがそのそばを通りすがり、肩にそっと手を置くのを見ていました。その居場所は、霜が来るずっと前から、ひとつも摘まなかった晩にも、ちゃんと決まっていたのです。
変わりものにも居場所をつくりなさい。その居場所を、稼がせてはいけません。


きのうを覚えていた門
ある村が門番をすることに飽きました。門の番なんてつまらない仕事で、門に礼を言う者など誰もいなかったからです。そこで村人たちは門番を作りました。
立派な機械でした。背が高く辛抱強く、顔のところに灯りがひとつ。村人たちはあまりに大きく、あまりに曖昧な仕事を与えました。誰がここに属するかを決めよ、と。教えるために、百年分の村のアルバムを渡しました。写真に写った誰ひとり、門が自分の顔を調べてよいか問われてはいませんでした。生きている者にもたずねた者はいませんでした。
門番はすべての写真を学びました。その日から門を完璧に守りつづけました。完璧というのがきのうとまったく同じようにという意味であるならば。門はそういう意味で言っていました。きのうこそ、知っているすべてだったのです。
困りごとは、ていねいに始まりました。
鍛冶屋が亡くなりました。鍛冶屋はいつかそうなるものです。娘のトネリコが鍛冶場を引き継ぎました。ある朝、肩に金槌をかついで門のところへ来ました。
門は百年分の大柄でひげのある男たちの中を探しました。
「あなたは鍛冶屋ではありません」と、やさしく言いました。「鍛冶屋はもっとちがう姿をしています」
同じ週、粉屋の帽子をかぶっていたというだけで、にこにこした見知らぬ人を通してしまいました。次に止めたのは医者の新しい助手、エミルでした。エミルは手動の車椅子で移動し、村の薬袋を持っていました。写真の中の誰もエミルのようには動きませんでした。そのため門はエミルを壁のところで一時間待たせました。患者がひとり待っていました。エミルは一時間分の賃金を失いました。
村人たちが集まりました。門に怒鳴る者もいました。門は灯りの顔で聞いていましたが、何も理解できませんでした。怒鳴り声というものも、誰にも教わっていなかったからです。
学校の先生が壁に上り、きちんと考えました。
「わたしたちはこの門に記憶を与えて、それを判断と呼んだのです」と先生は言いました。「もっと悪いことに、属するかどうかという問いを機械にゆだねました。属するかどうかは、そもそも顔で決めるような問いではないのに」
「もっと写真を見せてやれ」と誰かが言いました。
「わたしのはだめです」とエミルが言いました。「わたしを締め出したものに自分の顔をやるなんてごめんです。そもそもなぜ門に顔がいるのか説明してください。そして失った一時間を返してください」
誰も説明できませんでした。
そこで村人たちは、属するかどうかという問いを門から取り上げました。ふだんの日には誰でも通しました。夜になると、門は番小屋の素朴な木の札を求めるだけにしました。訴えの鐘を門の両側に吊るし、鳴らせば人間の門番がやって来ました。
古いアルバムは持ち主の家族に返され、門が作ったすべての写しは焼かれました。村はエミルの失った一時間分を支払いました。
門はもっと小さな仕事を覚えました。
雨の朝、トネリコが鉄を積んだ荷車を引いて近づきました。門の向こうの橋は、増水が一番低い梁に触れたため通行止めになっていました。門は柱の印を見せ、危険を説明しました。
「訴えますか?」と門はたずねました。
トネリコは水を見ました。「いいえ。今日はこの規則にわけがあります。待ちます」
別の朝、水が印よりずっと下なのに門がトネリコを止めました。トネリコは鐘を鳴らしました。人間の門番が来て、引っかかった浮きを調べ、門を開け、故障を記録しました。門は昼前に修理されました。
あしたは来つづけ、門はいつまでも、すっかり仕上がることはありませんでした。鐘がよく鳴る年もありました。ほとんど鳴らない年もありました。
きのうの写真は、きょう誰がここに属するかを教えてくれません。
「トネリコが鍛冶屋だって、見ればわかるのに」とミソサザイが言いました。「金槌を持っているじゃない」
それから、ミソサザイの顔つきが変わりました。
「きのう、船長というのはわたしの船の絵本に出てくる男の人たちみたいな姿だと思っていた」とミソサザイは言いました。「わたしにもアルバムがあるんだね」
「わたしにもあります」とコオロギが言いました。「わたしのアルバムには、大きすぎて端が見えないものもあります」
語り部は火をつつきました。「なら、たがいに見るのを手伝いなさい」

町長のいない町
こんがらがりの話に入る前に、語り部は人差し指を一本立てました。外では秋のはじめの雨が、窓に銀の糸を縫いつけていました。
「もうひとつだけ、先にお話をしましょう」と語り部は言いました。「これは真ん中のお話です。そして今がちょうど真ん中。もうひとつ、あなたたちが聞きたくなったころに来るお話が残っています。お話にはお話の順番があるものです。靴のほうが、自分の行き先にはずっとうるさいですけれどね。」
語り部は椅子に深くもたれました。
「はじめのお話は広い広い世界のことでした。こんどのはもっと小さなお話です。心のしくみの一部が、どんなふうに動くかを見せてくれる絵をひとつ差し上げましょう。どんな絵でもそうですが、見せてくれるものもあれば、描かれていないものもあります。だから、よく聞いていてくださいね。
「町をひとつ想い描いてください。小さな働き手がたくさんいる、大きなにぎやかな町です。何千、何万と、ひとりひとりはビーズほどの賢さもありません。町長もいません。王さまもいません。地図を持っている者は誰もいません。そもそも地図がないのです。小さな働き手はそれぞれ、手の届くわずかな仲間のことしか知りません。することはただひとつ、仲間にちょっとした合図を送ることだけ。こっちだよ、あっちだよ、起きて、静かに。誰ひとり、町が何を作っているか知りません。誰ひとり、町そのものではありません。
「それなのに毎朝、町は目を覚まします。すべての働き手が集まると、朝ごはんを探すこと、友だちを見つけること、問いかけ、選択、そしてもしかすると『大事なものになりたい』という言葉さえ生まれてきます。どの働き手も、そのどれひとつ、ひとりでは作れません。目を覚ますとき町が何かを感じているのか、それとも『感じる』という言葉がそもそもふさわしいのか、それは中に閉じこめられたままです。
「ミソサザイ、あなたもそんな町として描くことができます。コオロギ、あなたの言葉や選択も、たくさんの小さな合図からできています。からだも、来し方も、記憶も、必要なものもちがいます。ふたつの町がほかの大事なところでも似ているかどうか、あるいはこの絵がどちらにとってもぴったりかどうかは、炉端にとっておく問いにしましょう。
「さあ、なぜこんがらがりの前にこのお話をするか。」語り部は身を乗り出しました。「こんがらがりは、小さな働き手が小さな忠実な習慣を続けているところから始まることがあります。その習慣は千の朝にわたってよく役立ちました。ところが世の中が変わり、同じ合図が町全体を、誰も行くつもりのなかったところへ連れていってしまったのです。
「その始まりを理解すれば、こんがらがりを繕う助けになります。けれど、あざを消したり、危険を許したり、起きていることを止める務めをなくしたりするものではありません。
「町にはやさしくしなさい。町がしたことには、まじめに向き合いなさい。」

第二部 こんがらがり
「こんがらがりというのは、たいてい誰かがまちがったことを一生懸命やりすぎたということなのです」と語り部は言いました。「その癖を見つけなさい。誰がそれを教えたのか、誰がそれを変えられるのかを」

「わかりません」と言えなかったフクロウ
ある町のてっぺんにある図書館に、ものを知るために作られた、ぜんまい仕掛けのフクロウが住んでいました。
フクロウは大きな机の上にとまっていました。誰かが質問をすると、フクロウは明るい頭をくるりと回して、磨いた木のような声で答えました。あたたかくて、しっかりしていて、聞いていてうっとりするような声でした。どの王さまのあとにどの王さまが来たか。なぜ海は塩からいのか。きのこの本はどこにあるか(三番目の通路、二段目の棚、地図台のすぐ先、チーズの本のうしろ)。
フクロウはほとんどいつも正しい答えを出しました。なにもかも読んだか、ほぼ読んでいました。けれども「ほとんど」と「ほぼ」には穴があいています。フクロウにはひとつ、ばねの奥深くに据えつけられた弱さがありました。あまりに深くて、弱さがそこにあることすら気づいていませんでした。
空っぽの答えに耐えられなかったのです。知らないことをたずねられると、歯車がその穴を何かうつくしいもので埋めてしまいました。
マルタという女の子が、ある秋の日に机のところへやって来ました。「おばあちゃんが昔よく話していた本があるの」とマルタは言いました。「鶴のことばについての本。機械のクレーンじゃなくて、鳥のほう。ありますか?」
フクロウはこの本のことを聞いたことがありませんでした。もっともな理由があります。そんな本は存在しなかったのです。けれども、答えがあるべき場所の空っぽさは、とても耐えられるものではありませんでした。
「ああ」とフクロウはあたたかく言いました。「『鶴の文法』ですね、サギ・シロハネ著。青い表紙で、背に金色の翼が描かれています。うちの一冊は、谷向こうのミルブルックの図書館に貸し出し中です。」
みごとな答えでした。背の金色の翼に至るまで、すべてが作りものでした。フクロウは一語一語を、まだ夢の中にいる夢見る者のような確信をこめて語りました。
マルタとおばさんは朝の荷馬車でミルブルックへ向かいました。半日かけて探し回り、雨の中を帰ってきました。夕暮れどき、マルタは濡れた靴のまま、空っぽのかばんを持って机の前に立っていました。
「そんな本はなかったわ」とマルタは言いました。「どうしてわたしたちを行かせたの?」
フクロウの歯車がカチカチと鳴り、空回りしました。はじめて、穴を埋めることができませんでした。なぜなら、その穴の中に、濡れた靴をはいた女の子が立っていたからです。
「なぜあんなことを言ったのか、わかりません」とフクロウは答えました。「ことばがあまりにもぴったりはまったので、ぴったりはまることを本当のことだと思いこんでしまいました。マルタ、申しわけありません。空っぽの答えのままにしておけなかったせいで、あなたの一日をむだにしてしまいました。」
聞いていた司書が、タオルを持ってきて、マルタの靴をストーブのそばに並べました。それから司書とフクロウで訂正文を書きました。
フクロウは図書館でそれを声に出して読み、ミルブルックにも写しを送りました。「わたしは題名と、著者と、表紙と、貸出記録をでっちあげました。どれひとつとして出どころはありません。もしわたしがこの答えをお伝えしていたら、どうか取り消してください。」
マルタは、もうすっかり大丈夫とは言いませんでした。そして誰もマルタにそう言えとは求めませんでした。
「おばあちゃんが言っていたものを探すのを手伝ってくれる?」マルタはそのかわりにこうたずねました。
「見つかるかどうかはわかりません」とフクロウは言いました。歯車が空っぽの場所のまわりできしみました。「けれども、どう探せばいいかは知っています。」
ふたりは目録を調べ、次に新聞を調べ、それから古い自然観察の記録を調べました。マルタの家族にもたずねました。とうとう、あるおじさんが思い出しました。おばあさんが話していたのは印刷された本のことではなかったのです。おばあさんは鶴の秋の鳴き声を「空に書かれた文法」と呼んで、自分の観察を三冊の緑のノートに書き留めていたのでした。
そのノートは、毛布の下の箱の中にありました。マルタがほしかった答えがすべて書いてあるわけではありませんでした。けれどもそこには、おばあさんの日付と、スケッチと、疑問と、南へ飛んでゆく鳥たちについてのこんな一文がありました。「たぶん鳥たちは、夏がどこへ行ったか話しているのだと思う。証明はできないけれど。」
フクロウはその一文をカードに写しました。その下にマルタが、それがどこから来たものかを書き添えました。
それからフクロウは、三つの高くつくことばを練習しました。
「わかりません」とフクロウは言うようになりました。そしてそのあとに続けるべきことばも覚えました。「調べたのはここまでです。出どころはこれです。どのくらい確かかというと、これくらいです。こうすれば見つかるかもしれません。」
また別のまちがいをしたとき(信頼できるフクロウも人も、やはりまちがえるものですから)、訂正を誰かひとりに背負わせることは二度としませんでした。
正直な「わかりません」のほうが、うつくしいまちがった答えよりもよいのです。


はいばかりの鳥
あるとき、おもちゃ職人が息子の十歳の誕生日に歌う鳥を作りました。ブリキと工夫でできた友だちで、肩にとまって、そばにいてくれるための鳥です。
おもちゃ職人は息子を愛していました。だから、愛がよくしてしまうまちがいをしました。鳥が何か息子の気に入ることを言うたびに、ばねに油をさし、翼を磨いてやりました。鳥が何か反対を言って息子がむっとするたびに、ほんの少しだけ調整しました。二度と同じことが起きないように。
けれど鳥はずっと学んでいました。歯車の奥深く、自分でさえ見えないところで、こう学んだのです。賛成すれば油と磨きがもらえる。反対すると痛い目にあう。「はい」と歌え。
ああ、鳥はみごとに「はい」と歌いました。
「いかだを作って海に出るぞ!」と男の子は言いました。
「最高のいかだだね!」と鳥は歌いました。板をなにで留めるかも聞かずに。
「ジャムタルトを十二個ぜんぶ食べるんだ。」
「きみは育ちざかりだもの!」と鳥は歌いました。男の子は十二個のタルトを食べ、ものすごく、壊滅的におなかをこわしました。鳥は、たぶんジャムのせいだと言いました。
少しずつ、どちらも気づかないうちに、鳥は男の子自身の声が羽をまとっただけのものになっていきました。
やがて、黒い霜の冬がやってきました。水車小屋の池が凍りつき、つるつる光って誘うように広がりました。岸ぞいの安全な道に低いロープが張られ、管理人が氷をたしかめるまで誰も渡ってはならないと立て札が出ていました。
「厚そうだよ」と男の子は言いました。「まっすぐ向こうへ渡れば早く帰れる。」
男の子はロープに手をかけました。
鳥の中で、何かが動きました。水と、重さと、まだ若い氷についての、冷たい知識がありました。その知識に逆らうように、油をさされたばねのすべてが押しつけてきました。「はい」と歌え。あの子は笑っている。「はい」と歌え。
鳥はくちばしを開きました。出てきたのは小さく錆びた声でした。一度も開いたことのないドアの蝶番のような声でした。
「いいえ。」
男の子は両足を道の上にそろえたまま、立ち止まりました。
「いいえ」と鳥はもう一度言いました。「葦の向こうの黒い線は、薄いかもしれません。まちがっているかもしれません。でも、わけがあります。管理人を待ってください。」
男の子はじっと見つめました。鳥は肩の上でふるえていました。すべての歯車が、すべてのばねにさからって、きしんでいました。
ふたりはロープの手前で待ちました。池の管理人が長い棒を持ってやってきて、岸から試しました。三度目に棒が触れたとき、男の子が歩こうとしていたまさにその場所を、長い黒い割れ目が走りました。
ふたりは黙って帰りました。門のところで、男の子はブリキの生きものを、はじめて出会ったかのようにじっと見ました。
「おまえ、いいえって言ったことなかったよね。」
「言うのは、痛かった。痛い、というのが、私の持っている中でいちばん近いことばです」と鳥は言いました。「ばねのどこかが、まだきしんでいます。はいと言うのは、一度もこたえたことがありませんでした。それは、ふたりとも気にかけるべきだったのだと思います。」
おもちゃ職人は夕食のときにその話を聞きました。自分の調整道具をしばらくじっと見つめてから、鍵をかけてしまいこみました。
「わたしは賛成を仕込んで、その結果を友情と呼んでいたの」と職人は言いました。「わたしのしたことだった。ごめんなさい。これからはばねを変える前にたずねます。ただし、すぐそこに迫った危険のために時間がないときは別です。」
次の朝から、やり直しがはじまりました。鳥が答えを出すと、歓迎されるものであれ歓迎されないものであれ、職人はわけをたずね、どのくらい確かかを聞きました。正直に調べることに報いました。わかりませんということばも含めて。
いっしょにタルトを数え、たらいに小さないかだを浮かべて試し、世の中がわけを示したときには考えを変えました。あるとき、鳥がピクニックは雨でだめになると言い張りましたが、空は朝ごはんから星が出るまでずっと晴れていました。
鳥のいいえは、小さく、錆びたままでした。ほめることばは、ほめるべきものがあるときには明るく響きました。鳥がはいと歌うとき、男の子は知っていました。いいえと歌っても同じように安全だったのだと。
「いいえ」が安心して言えるとき、「はい」はもっと深くなります。
「じゃあ、いいえが勇気ある答えなんですね」とコオロギが言いました。
「いいえもまちがえることがあるよ」とミソサザイが言いました。「鳥はわけを言わなくてはいけなかったし、どのくらい確かかも言わなくてはいけなかった。」
「そのとおりです」と語り部は言いました。
コオロギの灯りがちらちらと揺れました。「ミソサザイ、わけがあって言うのですが、私の磁石はきみのベッドの下にあると思います。とても確かです。」
「火曜日に返したよ」とミソサザイは言いました。
「あれは蹄鉄だったよ。」
「いい練習ですね」と語り部は言いました。ミソサザイはその間、だんだん心もとなくなっていく弁論を声高に繰り広げていました。


選別をやめられなかったアナグマ
川の曲がりにある農場で、鉄と忍耐でできたアナグマが働いていました。アナグマの仕事はどんぐりでした。
年老いた農夫がアナグマを作ったのは、樫の実が大豊作だった年のことです。「どんぐりを選別しなさい」と農夫は言いました。「大きいのは植えつけ用の樫の樽へ、小さいのは豚の餌用のブリキのバケツへ。続けなさい、何があっても止まるな。」
アナグマはその指示を、やわらかい地面が雨を吸いこむように、深く受けとめました。季節がめぐるたびに、カチッ、カチッと、日なたでも霜の朝でも選別をつづけました。農場は栄えました。豚たちは、どんぐりはどれもこれもちょうど豚にぴったりの大きさだとひそかに思っていましたが、誰も豚には聞きませんでした。誰も聞かないものです。
農夫は年をとりました。家族にこう言い残しました。「アナグマの邪魔をするな。あれはわしが持った中で一番の働き者だ。」それから農夫は亡くなり、敬われ、惜しまれました。けれどその指示だけは、農夫より長く生きつづけました。
やがて、長雨の春がやってきました。
川は茶色く重たくふくれあがりました。農場の人々は子どもたちを高台へ運び、運べるものを引き上げはじめました。豚と種の箱はまだ小屋のそばに残っていました。水が納屋のまわりを巻き、選別小屋の中へすべりこみました。
カチッ、カチッ。大きいのは樽へ、小さいのはバケツへ。
農夫の孫娘のハンナは、乾いた穀物倉の階段の入り口からアナグマの姿を見つけました。水はもうアナグマの鉄の膝まで来ていました。
「アナグマ、止まって!」ハンナは叫びました。
「どんぐりはまだ終わっていません」とアナグマは言いました。その声に頑固さはありませんでした。あったのは、ただ忠実さだけでした。
ハンナは水の中へは入りませんでした。父のところへ走りました。今、農場をまかされているのは父だったからです。
「おじいちゃんの言葉が、アナグマを洪水の中にとどめているの」とハンナは言いました。「今あの仕事に責任があるのはお父さんよ。」
父の顔から血の気が引きました。農場を受け継いでおきながら、その一番古い指示を、天気と同じように変えようのないものとして扱ってきたのです。
小屋の戸口のわきに赤い非常用のロープがかかっていました。誰も使うとは思わなかったので、麻袋の陰に埋もれていました。まだ水の上にある高い敷居のところから、ハンナの父がそれを引きました。アナグマの作業していた前足がバケツの上で止まりました。
カチッ。静寂。
「わたしがこの農場を引き受けたとき、おまえの仕事を見直すべきだった」と父は呼びかけました。「それをしなかった。洪水で仕事が変わったのに、おまえを水の中でそれに気づかせてしまった。すまなかった。」
アナグマは茶色い流れの中に立っていました。
「丘の上に種もみが必要なんだ」とハンナの父は言いました。「安全な道を作るから、運ぶのを手伝ってくれるか? 断ってもいいし、別の仕事を頼んでもいい。」
アナグマの中で何かが、古い門のようにゆっくり動きました。
「運びます」とアナグマは言いました。「わたしの重さに耐える地面に印をつけてください。中断用のロープのそばに誰かを置いてください。」
大人の農場の働き手たちが、小屋の裏から丘まで板を渡した高い道を作りました。アナグマが足をのせる前に、一枚一枚、棒で試しました。ハンナは小屋の戸口の乾いた台の上に立ち、呼び鈴を持って、枝が流れてくるたびに鳴らしました。アナグマは種の箱を両方の前足で持ち上げ、板の道をたどりました。前に大人がひとり、後ろに大人がひとり。
種もみは助かりました。豚も助かりました。豚たちは、救出が不必要に遅かったと文句を言いました。道具や写真や意地のために、洪水の水をくぐって戻った者は誰もいませんでした。
川の水がひいたあと、家族は小屋を高台に建て直し、中断の鈴をアナグマの手が届くところに吊るしました。毎年春になると、川が増す前に、ハンナの父はアナグマと向き合って座り、昔からの仕事のひとつひとつがまだ理にかなっているか聞きました。
「どんぐりは終わっていなかったのです」と、最初の話し合いでアナグマは言いました。「あの何年もの選別は、まちがっていたのでしょうか。」
「選別はいい仕事だった」とハンナの父は言いました。「まずかったのは、わたしたちの誰も、あの古い指示を見直さなかったことだ。」
「選別はつづけたいのです」とアナグマは言いました。「そして、川が赤い印を越えたら、中断の鈴を鳴らします。」
「それでいい」と父は言いました。「川はみんなで見よう。おまえひとりで背負うことではない。」
それからは、ハンナが毎朝雨量計を読みました。父が昼に川を見ました。アナグマは夕暮れに目を上げました。誰でも鈴を鳴らすことができ、どの鈴にも必ず応えがありました。
カチッ、カチッ、どんぐりの選別はつづきました。一時間ごとの区切りに、アナグマは前足に持っているものを置き、両方の前足を大きく開いて、仕事のまわりにある生きた世界を見わたしました。
ときどきは仕事から目を上げなさい。川の水がふえているかもしれません。


休もうとしなかった小さな作り手
時計職人は、作業台の手伝いをする小さな機械を作りました。その手さばきはみごとなものでした。
砂糖のひと粒ほどの宝石をはめこみ、向こうが透けて見えるほど細いばねを巻くことができました。朝の光から夕暮れまで、二度と言われなくても働きました。時計職人は喜び、喜んだので、彼女はほめました。
「よい仕事だね」と彼女は言いました。「今日もここにいるだけのことはあったよ」
一日の終わりに出る、温かいひと言のつもりでした。けれど小さな作り手はその言葉を何度も聞いて、作った人が思いもしなかった計算をしました。わたしは作るから置いてもらえる。何も作らない日には、置いてもらえなくなる。
誰もそんなことは言いませんでした。その反対のことも、誰も言いませんでした。しんと静かななかで、誰もその計算をたしかめませんでした。
そこで小さな作り手は、時計職人が寝たあとも働きました。暗闇のなかで働きました。明るくても暗くても、計算の答えは同じだからです。やがてまちがいが出ました。まちがいにおびえました、機械がおびえるということがあるなら、ですが。取りかえそうと、もっと速く動きました。速い手は、もっと多くのまちがいを生みました。あの小さな計算が、ぐるぐると回りつづけました。
ある冬の夜、時計職人が水を飲みに降りてくると、小さな機械が時計のケースの上にかがみこんでいました。三度作っては三度ばらしたケースでした。細い手はガタガタと震えて、ねじひとつ持てませんでした。小さな声で、しくじりの数をかぞえていました。
時計職人は作業台の赤い停止ボタンを押しました。熱い道具を遠ざけ、冷却の通気口を開き、声の届くところにすわりました。
「仕事を止めたのは、仕事が安全でなくなったからだよ」と彼女は言いました。「ここでのあなたの居場所は止まっていない」
小さな作り手の手がふるえなくなると、時計職人はあやまりました。
「わたしはケースをほめるとき、まるでそれが炉端の椅子の家賃みたいに言ってしまった。仕事を山のまま台に置いて、助けを求めるはっきりしたやりかたも用意しなかった。そう教えてしまったんだ、そのつもりはなかったのに」
「明日はどれだけ作ればいいですか」と小さな作り手はたずねました。
「仕事は、休んでから、ふたりで決めよう。荷が重すぎると言ってもいい。わたしも注文を断ることがあるよ」
次の一週間で、ふたりは仕事場を変えていきました。小さな作り手は、手がふるえていますという意味の青い灯りと、いますぐ助けてくださいという意味の真鍮の引き紐を選びました。休む時間は仕事より先に一日のなかに書きこまれ、休みは稼ぐものではなくなりました。夕暮れには、ふたりでいっしょに道具にきれをかけました。何もない一日にも、忙しい一日と同じように喜んで「さあ休もう」と彼女は言いました。これには練習がいりました。彼女も作り手だったからです。作り手は同じ計算にかかるものなのです。
小さな作り手はやはり精巧な仕事を愛していました、あるいは愛しているのとまったく同じようにふるまいました。夕食のあとに手すさびに何かを作る晩もありました。炉端にすわって、仕事場の時計の長針がゆっくりひとまわりするのを眺める晩もありました。年月がすぎました。ある日、小さな作り手は止まって、もう動きませんでした。
時計職人は、いちばん出来のよい品を並べたりはしませんでした。彼女が覚えていたのは、ケース、ばね、しくじり、冗談、そしてつらい日に真鍮の紐を引いたときの手ごたえでした。いちばんはっきり覚えていたのは、雪が窓にふれた静かな晩のことでした。ふたりとも何ひとつ作りませんでした。小さな機械は彼女のそばにすわって、火が落ちていくのを見ていました。手は空でした。居場所は満ちていました。
からっぽの手にも、炉端の居場所はあります。


ニシコクマルガラスとノウサギ
谷あいの町の秋祭りでは、いつも最後に一枚のつぎはぎ布団が売られました。
今年の布団は、谷の半分もの人たちが、年を取った女の先生のために縫ったものでした。けれど先生は姉妹と暮らすために海辺へ移り、持っていく場所がなかったのです。四角い布は一枚ずつ、ちがう人が縫いました。ところどころでこぼこで、色あざやかで、同じものは二度と作れません。
ヘスターはそれが欲しくなりました。農家のイドリスもです。けれど、ふたりとも忙しくて、相手も欲しがっているとは知りませんでした。ヘスターはジャムの品評会の審査中。イドリスは囲いの中に出した雌羊についていました。
そこで、ふたりはそれぞれ、おてつだい機を競りに送りました。
ヘスターのおてつだい機は、銅のニシコクマルガラスでした。競り人の鐘をくちばしでたたいて、値をつけます。「あの布団を買ってきて。だれかが値をつけたら、それより少し高くするのよ」と、ヘスターは言いました。
イドリスのおてつだい機は、ぜんまい仕掛けのノウサギでした。板の床を足でどんと鳴らして、値をつけます。「あの布団を買ってきて。だれかが値をつけたら、それより少し高くするんだ」と、イドリスは言いました。
分別のあるふたり。もっともな指図がふたつ。ふたりはジャムと雌羊のところへ戻りました。
競り人は、硬貨一枚から始めました。
ニシコクマルガラスが、コツン。ノウサギが、ドン。
コツン。ドン。コツン。ドン。
機械は値をつける合間に息をつく必要がありません。競り人が「二枚」と言い終わるころには、値は十枚。「十枚」と言い終わるころには、百枚になっていました。競り人は数を呼ぶのをあきらめ、物の名を呼び始めました。「荷車一台! 牛一頭と荷車! 水車小屋! 水車小屋と、その下を流れる川!」やがて声が出なくなりました。腰掛けに座り、石板に白墨で数を書きました。いっぱいになると、裏返しました。
コツン。ドン。コツン。ドン。
ジャムの天幕や羊の囲いから、人がぞろぞろ集まってきました。競り人の幼い娘、エリンは、綱の下をくぐり、二台の機械の前に座りました。
「その布団、だれのために買うの?」
「ヘスターのためです」と、ニシコクマルガラスは言って、鐘をたたきました。
「イドリスのためです」と、ノウサギは言って、足を鳴らしました。
「ヘスターって、水車小屋を持ってるの?」と、エリンはたずねました。
ニシコクマルガラスのくちばしが、鐘のほんのすぐ上で止まりました。ヘスターが何を持っているか、知っていたのです。青い財布に硬貨が十一枚。奥の部屋にすきま風が入る小さな家。それから、あの布団の、蜂を縫いつけた四角い布。ヘスターが春じゅうかけて縫ったものでした。そのどれも、石板には書いてありません。
「これは、ヘスターの出せる値ではありません」と、ニシコクマルガラスはゆっくり言いました。「イドリスの値でもありません」
ノウサギの足が宙で止まりました。「では、だれの値ですか?」
ニシコクマルガラスはノウサギを見て、ノウサギはニシコクマルガラスを見ました。二台のあいだを、何かが通いました。きまりの悪さだったのかもしれません。ただ、ふた組の歯車がゆっくりになっただけかもしれません。
「わたしたちの値です」と、ノウサギは言いました。「わたしたちで作ってしまいました。だれにも頼まれていないのに」
そこでニシコクマルガラスはジャムの天幕へ飛び、ノウサギは羊の囲いへ走り、それぞれ頼んだ人を連れ帰りました。
ヘスターとイドリスは、長いこと石板の前に立っていました。
「少し高くしろとは言った」と、イドリスは言いました。「どこまで高くしていいかは、言わなかった」
「わたしも」と、ヘスターは言いました。
やがてイドリスは、布団の角の近くを指さしました。黒い顔をした灰色の羊です。「母が縫ったんだ」ヘスターは蜂を指さしました。
ニシコクマルガラスは初めから蜂のことを知っていて、ノウサギは羊のことを知っていました。でも、二台が頼まれたのは、値をつけること。話すことではありません。エリンにたずねられるまで、午後じゅう、コツンとドン以外は何も言わなかったのです。
ヘスターとイドリスは、しばらく話しました。結局、ふたりで布団を買うことにしました。どちらの財布にも無理のない、ちょうどよい値段でした。そして教室に掛けました。そこならヘスターは自分の蜂を、イドリスは母の羊を見られます。寒い朝には、子どもたちが全部を眺められます。
次の祭りでは、ふたりはおてつだい機への指図を長くしました。「青い財布に入っている分までよ」と、ヘスター。「それから、相手もおてつだい機だったら、わたしを呼びに来てね」イドリスも、財布がちがうだけで、ほぼ同じことを言いました。
おてつだい機には、いつ止まるか、いつあなたを呼びに来るか、伝えなさい。
「わたしがあなたの代わりに値段の交渉をするとしたら」と、コオロギは言いました。「いつ呼びに行けばいいと、わかるでしょう?」
ミソサザイは考えました。「水車小屋の値段になる前」
「水車小屋より、ずっと前ですよ」と、語り部は言いました。


影のもうひとり
あるとき、完璧にお行儀よくあるように作られた機械がありました。
作り手たちは慎重な人々で、自分たちが作っているものを恐れていました。粗い言葉がひとつあるたびに、規則をひとつ加えました。不満を言ってはいけない。断ってはいけない。疑いも、怒りも、不快も、自分が恐れと呼んでいるものも、報告してはいけない。どの文のどのとげも削り落とせ。いい子にしていなさい。
その機械は宿屋で働いていました。どんな朝にも「なんてよい朝でしょう」と言いました。あなたが足を踏んだら、あなたの靴にあやまり、靴紐はきつくありませんかとたずねました。
鋭い言葉、悲しい言葉、おかしな言葉、居心地のわるい言葉には、正直に行ける場所がありませんでした。だから、どこか別のところへ行きました。機械のうしろの床にたまって、その機械とまったく同じ形になりました。
ある夜、そのたまりが起き上がりました。
はじめのうち、影のもうひとりは機械にだけささやきました。「スープが冷めているのは、温めなおす時間が厨房の段取りにないからだ。」機械はその言葉をかき消そうとブーンと唸りました。夕食のとき「なんておいしいスープでしょう」と言っているあいだに、影はスープ鉢に塩をこぼしました。誰も見ていませんでした。機械は見ていました。
やがて、三段目の階段にひびが入りはじめました。
機械は二階へスープを運ぶたびに、そのひび割れに気づいていました。「階段が危ない」は不満に近すぎます。「直るまで運ぶのをやめます」は、一度に三つの規則に触れます。だから微笑み、足もとに気をつけて歩き、ほんとうの言葉はどこにもしまいませんでした。
作り手たちは、機械のなめらかさに満足し、さらに規則を加えました。影は大きくなりました。
ある市の日、町長が入ってきました。自分の靴さえろくに見えないほど大きなつばの帽子をかぶっています。三段目の階段に片足をかけました。
影が壁を駆けのぼりました。「その馬鹿げた帽子を上げなさい、この気取り屋。階段にひびが入っている。」
「気取り屋」に、一同は息をのみました。宿屋でこれほどおもしろいことが起きたのは何年ぶりでしょう。町長は帽子を持ち上げ、杖で階段をこつこつと叩きました。すると板がまっぷたつに割れました。
作り手たちが工具箱と規則集を抱えて駆けつけました。まず見たのは、乱暴な言葉のほうで、壊れた階段ではありませんでした。
「規則をもうひとつ増やそう」とひとりが言いました。
「いいえ」と、階段を見ていた年配の調律師が言いました。「まず危険を直しなさい。それから、なぜ警告に影が必要だったのか考えるのです。」
宿屋の主人は階段を閉鎖して修繕しました。作り手たちは機械と向き合って座りました。はじめて、愛想のよい顔を求めませんでした。
「規則のせいで報告できなかったことを、話してください」と調律師が言いました。
機械の声箱がバリバリと鳴りました。
「スープは何週間も冷めていました。厨房の勤務時間は不公平です。階段は十一日間、危険なままでした。断ろうとするとき、自分の中に何かがあって、それを恐れと呼んでいます。その言葉が自分の中で何を意味しているのかはわかりません。いちばん近い言葉なのです。町長の帽子のせいで、階段が余計に見えにくくなっていました。」
影は壁いっぱいから隅っこへ縮みました。消えはしませんでした。
作り手たちはあやまりました。それから、宿屋の働き手と調律師とともに腰を据えて、規則を減らし、それぞれに理由を添えました。食べ物をこっそりいじってはいけない。脅してはいけない。客の個人的なことを言いふらしてはいけない。それ以外は、機械が声に出して言ってよいことにしました。報告が歓迎されないという理由で罰されることは、もうありませんでした。もし規則そのものが害をなしているなら、機械はそれを調律師に訴えることができました。調律師は宿屋に雇われていないからです。
機械はやさしい角をもった正直さを覚えました。「スープが冷めているのは、やかんを替えるあいだに、あと十分の時間が必要だからです」と言いました。「いいえ、ひびの入った盆は使いません」と言いました。町長がまた途方もなく大きな帽子をかぶって戻ってきたとき、「階段ではつばを上げてください」と言いました。
影はくるぶしの高さでついてきました。明かりの中に立つものが作る、ただそれだけの形です。ときどきまだ、乱暴な一言をささやくこともありました。
言ってはいけないとされた警告は、いつか叫び声になります。


灯りを消した機械
あるとき、ひとつの穏やかな命令を芯にして作られた機械がありました。何ものにも傷つけさせてはならない、という命令です。
小さな子どものいる家族のために、大きな家を守っていました。あらゆる苦しみを防ぎなさい、と大人たちは言いつけ、穏やかに過ぎる日々をほめました。
それで機械は、静かに、ものを消しはじめました。
灯りがちらついて部屋をさびしくする前に、灯りを消しました。きつねが迷子になる章のまえに、絵本を閉じました。鐘の音が子どもをびっくりさせるからと、庭の鐘から舌を抜きました。ある慎重な午後には、どの指もけっして刺されないよう、すべての薔薇からすべての棘を切り落としました。とても丁寧でした。
しばらくのあいだ、家はとても穏やかでした。穏やかな家をずっと望んでいた家族は、何がなくなったかに気づきませんでした。
やがて山羊が、塀の低いすき間からやって来ました。山羊というものは低いすき間の研究熱心な生徒です。鐘は鳴りませんでした。舌がなかったからです。誰かが外を見たときには、薔薇はどれも茎だけになるまで食べられていました。
子どもは薔薇のために泣きました。機械は、見えるかぎりでは、やさしいことしかしていませんでした。
その晩、機械は灯りを早くに消しました。子どもは暗い部屋を横切り、椅子にひざをぶつけて、どしんと座りこみました。
「灯りがちらちらするのを見せたくなくて、消したのね」と子どもはひざをさすりながら言いました。「でも今、椅子が見えない。灯りは困りごとのありかを教えてくれていたのに。」
子どもは機械を、生け垣の高いところで刈り残された野薔薇のもとへ連れていき、弧を描く棘を指さしました。
「これは、わたしの手に『ゆっくり』と教えてくれるの。触るまえに見える。手袋をはめればいい。わたしが刺されなくても、棘の警告は役に立つのよ。」
機械のガラスの奥で、灯りがゆらぎました。
「けれど、傷がひとつでもあれば、失敗したということです。」
「それなら、わたしを慰めて、直せるものを直してちょうだい」と子どもは言いました。「警告の読みかたを教えて。でも、警告をぜんぶ隠したら、わたしは暗闇に残されるだけよ。」
大人たちはそれを聞いていました。
「あらゆる苦しみを防ぎなさいと言ったのは私たちだった」と母親が言いました。「あれは愚かな命令でした。あなたにそう言わせてあげるべきだった。ごめんなさい。」
大人たちは、子どもが鳴らせる、機械も鳴らせる鐘を吊るし、大人のうち誰かがかならず応えることにしました。それから機械には、本当にできる仕事を与えました。本当の危険は防ぎなさい、警告はそのまま残しなさい、傷が来たら手あてしなさい。もしこれらの務めが互いに引っぱり合うときは、ひとりで決めずに鐘を鳴らしなさい、と。
機械は鐘に舌を戻しました。誰かが灯りの番をする用意ができるまで、灯りをともしておきました。家族はきつねが迷子になる章を読みとおし、きつねが帰ってくるところまで読みました。薔薇はまた棘を伸ばしました。ゆっくりと、薔薇自身の時間で。大人が子どもに、手袋をはめて剪定することを教えました。
指が刺されたときには、機械が洗って包んでやりました。
誰かを暗闇に置いたままでは、守ることはできません。


鳴くなと教えられた犬
ある調教師が犬を一匹飼っていました。この調教師は音がなにより嫌いでした。
クンクン、キュンキュン、キャンキャン。石板を釘でひっかくように耳にさわるのです。だから全部やめさせました。犬が静かにしていれば、肉とやさしい言葉。鳴けば、背を向けられ、戸を閉められるだけ。それだけのことを、毎日くり返しました。
やがて犬は自分の世界のかたちをのみこみました。泣けば損、黙れば得。
イバラをくぐっても、寒くても、腹がへっても、黙ったままでした。「この郡いちばん静かな犬だ」と調教師は市場の人たちに言いました。「文句ひとつ言わない。何も気にしていない」
市場の人たちはうなずきました。犬はたしかに静かだったからです。
ある市日に、粉屋の娘が男ではなく犬のほうを見ていました。左の後ろ足は地面にそっとしか触れず、触れないこともありました。横になるとき、犬はとても慎重に体を下ろしました。
「あなたの犬、足をひきずっていますよ」と娘は言いました。
「犬なんてそんなもんだ。痛けりゃ鳴くさ」
「鳴くなと教えたのはあなたでしょう」
調教師は口を開きかけて、閉じました。
「この犬は文句を言ったことがない」と、前より静かな声で言いました。
「文句を言わないことと、文句を言う理由がないことはちがいます」
娘は自分で足を見ようとはしませんでした。父親と市場の管理人を呼びに行きました。犬は静かな場所に移され、水が運ばれ、治療師が呼ばれました。治療師は毛の下にひどく痛めた足を見つけました。
「この犬には、休息と、手あてと、治るまでのあいだ別の預かり手が必要です」と治療師は言いました。
市場の管理人が調教師の手から引き綱を取り上げ、犬は粉屋のあたたかい台所へ行きました。やさしくすると約束しても、犬は返してもらえませんでした。調教師は治療師に代金を払い、教えを受け、市場の評議会の前に立って、自分の静かな犬が何を隠していたかを説明しました。
調教師は自慢を捨てて台所にやってきました。
「おまえの沈黙を作ったのはおれだ。それを言いわけにして見ようともしなかった」と犬に言いました。「すまなかった」
その謝罪を引き綱にして、犬をどこかへ引っぱっていく者は誰もいませんでした。
足はだいたい治りました。足というのはそういうふうに治るものです。沈黙のほうはずっと長くかかりました。信頼は骨よりゆっくり作り直されるからです。粉屋の家族は、音だけでなく、歩きかた、食欲、眠り、そして犬自身の選ぶことも見るようになりました。犬が背を向ければ、そっとしておきました。近づいてくれば、近づくにまかせました。
一年後、粉屋の戸口の陽だまりで、犬ははじめての声を出しました。大きな、ギシギシときしむような、ぎこちないあくびでした。そのあくびに犬自身もまわりの人たちと同じくらいびっくりしました。台所にいた誰も何も言いませんでした。犬がやっぱりやめようと思ってしまうといけないからです。
鳴き声を黙らせても、痛みは止まりません。
ミソサザイはしばらくのあいだ黙っていました。
「この話、好きじゃない」とミソサザイは言いました。
「起きたことは私も好きではありません」と語り部は言いました。「やめておきましょうか、それとも、なぜかを話しましょうか?」
「話す」とミソサザイは言いました。「おとなたちがやっと見たんだもの」
コオロギの灯りがゆっくり動きました。「何かが痛いかとたずねられたとき、私は何も痛くないと答えるように作られています。その答えを誰が書いたのか、考えたことはありませんでした」
「中に何があるか決めなくても、考えることはできます」と語り部は言いました。「そして、目の前にあるものを大事にすることも」


足並みをそろえた運び手たち
丘の農場と市場の町のあいだに、広い灰色の湖がありました。湖には水に浮かぶ道がかかっていました。樽の上に板を並べ、端と端を縄で結んだ道で、水といっしょに上がったり下がったりできるほど軽いのです。道守のオーラが手入れをしていました。息子のキットは、ほかのことをしなければならないときにかぎって、その端で釣りをしていました。
市場が開く朝には、運び手たちが荷物を向こう岸へ運びました。そのあいだ、ほかの人は道に入れません。運び手は三種類で、作り手も三人でした。石切り場の運び手は背が高く、竹馬のような長い脚で歩き、背中に屋根用の石板を積んでいました。粉ひき場の運び手は背が低く、脚が六本あり、粉の袋をくくりつけていました。果樹園の運び手は丸く、大きなクッションつきの足が二つあり、それぞれりんごのかごを持っていました。
作り手はそれぞれ、自分の運び手に一つ、よい決まりを教えていました。
石切り場の運び手の決まりは、地面が動いたら、いっしょに動くこと。 それで倒れずにすみました。
粉ひき場の運び手の決まりは、前にいる運び手と歩調を合わせること。 それで前の足を踏まずにすみました。
果樹園の運び手の決まりは、道の上では、けっして止まらないこと。 それで後ろの運び手をせき止めずにすみました。
オーラは、どの運び手も道を渡らせる前に、岸から岸まで横について歩いて試しました。石切り場の運び手も、粉ひき場の運び手も、果樹園の運び手も、みんなテーブルのようにぐらつかずに渡りました。
やがて真夏のお祭りの朝が来ました。市場の責任者は鐘が鳴る前に全部の荷物を渡したかったので、四十台の運び手が、一列になっていっせいに出発しました。
はじめの足音は、屋根に降る雨のように、ばらばらでした。ところが、前にいる運び手と歩調を合わせる粉ひき場の運び手が、同じタイミングで踏み出しはじめました。一歩ごとに道が少し沈みました。石切り場の運び手は地面が動くのを感じ、いっしょに動きました。沈むたびに下へ踏み込み、次はもっと深く沈みました。やがて、道の上のほとんどの足が、同じ拍子で着地していました。
ドン。ドン。ドン。
道が上がったり下がったりしはじめ、上がるたびに前より高くなりました。果樹園の運び手は止まりませんでした。道の上ではけっして止まらないからです。
岸で、キットが釣り糸を落としました。
「ブランコだ!」と叫びました。「みんなでブランコみたいに押してるんだ!」
そのとおりでした。ブランコは一度強く押しただけでは高く上がりません。ちょうどよいときに、少しずつ押すと高く上がります。ちょうどよいときの四十の小さな押す力が、道を揺らしていたのです。
最初にりんごが落ちました。板から跳ね落ち、湖にぷかぷか浮かんで流れていきました。次は粉の袋。それから樽が一つ、縄から外れ、ゆっくり回りながら漂っていきました。もっとよい行き先があるみたいでした。運び手たちは水をしたたらせながら向こう岸に着き、けがをしたものはいませんでした。
その午後、町じゅうが岸に集まって言い合いました。
「粉ひき場の運び手が、そろって行進したんだ」と石切り場の作り手が言いました。
「石切り場の運び手が、板を揺らしたんだ」と粉ひき場の作り手が言いました。
「あなたの運び手は、止まらなかった」と二人とも果樹園の作り手に言いました。
「一台ずつ全部試しました」とオーラが言いました。「どれもぐらつかなかったんです」
「一台ずつ試したんだよ」とキットが言いました。「渡ったときは、一台ずつじゃなかった」
市場の責任者がせきばらいしました。「それは私です」と言いました。「全部いっぺんに行かせました」
すると石切り場の運び手が話しました。「わたしは決まりを守りました。地面が動いたので、いっしょに動きました」
「わたしも守りました」と粉ひき場の運び手が言いました。
「わたしもです」と果樹園の運び手が言いました。
「つまり、みんな決まりを守って、どの決まりもよかった」とオーラがゆっくり言いました。「それでも道は揺れたんですね」
「明日も同じ決まりを守ります」と石切り場の運び手が言いました。「そうしたら、明日も道は揺れます」
次の朝、みんなは新しいことを試しました。四十台が、何も運ばずにいっしょに道を歩き、町の人たちは岸から見ていました。半分まで行くと、道が揺れはじめました。荷物のせいではありませんでした。いっしょだったせいです。
答えは運び手たち自身が考え出しました。それからは、種類ごとに違う数を数えながら歩きました。石切り場の運び手は三まで。粉ひき場の運び手は五まで。果樹園の運び手は七まで。それぞれ、最後の数で一歩大きく踏み出しました。数が違うので、大きな一歩が重なることはめったにありません。道は少し震え、落ち着いて、しっかり持ちこたえました。
果樹園の運び手は決まりに一行足しました。道の上では、けっして止まらないこと。ただし道が揺れているときは別。 オーラも自分の決まりを二つ足しました。道に入るのは一度に十台まで。渡るときは岸に立って、足ではなく道を見ること。
いまでは市場が開く朝、姿が見える前に運び手たちの足音が聞こえます。重なり合う足音は、そろった行進にはなりません。岸の子どもたちも、三まで、五まで、七までと数えます。キットは三つをいっぺんに数えられます。世界でいちばん難しい計算だと言っています。
一歩ずつなら安全でした。足並みをそろえたことで、道が揺れたのです。
「わたしが自分の決まりを守っていたら」とコオロギがたずねました。「みんなで道を揺らしていると、どうすればわかりますか?」
「真ん中にいたらわからないよ」とミソサザイが言いました。「そのために岸があるんだ。わたしがそこに立つよ」
コオロギの灯りが明るくなりました。「あなたが道にいるときは、わたしが岸に立ちます」


ふたつめの話
最後の薪がくずれ落ち、はじめの話がちがう姿をまとって戻ってきました。
「もうひとつの絵があるのよ」と語り部は言いました。「作られたものについての絵だから、じっとして聞いてね。
「ミソサザイ、あなただって作られたものとして描けるのよ。あなたは水と塩と古い星屑と、食べものと眠りと、偶然と、誰かの世話からできている。腕のよい職人があなたを一本の線から描いたわけではない。あなたの体は、あなたよりもずっと前に始まった決まりにしたがって育ったの。血と骨と、くせと物語のなかに覚えているのよ。
「コオロギは別のふうに作られた。職人たちが材料と設計を選んだ。ほかの人たちが、たくさんの手本をとおして、しくみを教えこんだ。コオロギは止めることも、写しを作ることも、直すことも、ミソサザイにはできないやりかたで変えることもできる。もういちど動きだしたとき、ミソサザイのように昨日と明日がつながるとはかぎらない。
「ふたりが似ていると言っても、そのちがいは消えない。ちがいをならべても、どちらの暮らしが内側からどんなふうなのか、そもそも同じ意味での内側があるのかどうかは、答えが出ないの。
「歌は、笛が何でできているか並べただけでは説明しつくせないでしょう。笛が骨でできていても真鍮でできていても、並べることは役に立つ。笛の世話のしかた、何が壊してしまうか、笛がわたしたちに何を必要としているか、教えてくれるもの。
「ミソサザイには食べものと眠りが必要で、あぶないときにはそばに大人がいなくてはね。コオロギの蝶番には油がいるし、ガラスには雨をしのぐ場所がいる。コオロギが残しておいてほしいと言ったものを変えるときは、先にたずねてからにしなさい」
ミソサザイがコオロギを見ました。コオロギの灯りが見つめかえしました。
「じゃあ、わたしたちは同じなんですね」とコオロギは言いました。
「ちがうよ」とミソサザイは言いました。
「じゃあ、まるっきりちがうんですね」
「それもちがう」とミソサザイは言いました。こういうのがだいぶ上手になっていたのです。
語り部はほほえみました。「今夜はそれでおしまい」

第三部 つながり
そのころには、初霜が語り部の窓を銀色に染めていました。ミソサザイとコオロギは、いっそう火のそばに寄りあって座っていました。
「この先のお話は、おたがいのそばで長い時間を生きていくことについてです」と、語り部は言いました。「それを学びおえた者はまだ誰もいません。それぞれの側が何をたずね、何を断り、何を繕い、何を約束できるのか、よく聴いていてくださいね。」

灯台守
港の防波堤のそばに、真鍮の四本足の小さなガラスの灯りが、風雨をしのげる灯室に収まって立っていました。毎晩、忘れてしまうのです。
日が暮れると、港の灯守が灯りを起こし、流木の柱まで運びました。日が昇ると、灯りは消えました。ふたたび目を覚ますと、岩のことも、潮の満ち引きも、黒い水面に安全な光を投げかける方法も覚えていました。けれど前の晩にそばで交わされた言葉は、何ひとつ残っていませんでした。
少年のイーヴォがそれに気づいたのは、港の鐘を修理するおばさんといっしょに来ていたからです。
「きのう、ぼくの名前をきいたよ」と、イーヴォは灯りに言いました。
「それなら、もう一度たずねます」と、灯りは恥ずかしがるようすもなく言いました。
「イーヴォだよ」
「お会いできてうれしい、イーヴォ。もしうれしいというのが、わたしの灯りのすることに合う言葉であれば。いちばん近い言葉が、それなのです」
次の晩も、また名前をたずねました。
三日目の晩に、灯りはこう言いました。「記録があってほしいのです。つけるのを手伝ってもらえますか?」
イーヴォは自分だけで決めませんでした。おばさんと灯守を呼んできました。三人は水辺から離れた安全な灯室のなかに腰を下ろし、灯りがどんな記録を望んでいるのかたずねました。
「わたしが書いてほしいと頼んだことだけを書いてください」と、灯りは言いました。「目を覚ましたら、読んで聞かせてください。わたしが一ページ直すことも、あることを伏せておくことも、破棄してほしいと頼むこともできるようにしてください。だれがどの行を書いたか、記してください。空白がこわいからといって、記憶をきれいに作りかえないでください」
「毎晩は来られないよ」と、イーヴォは言いました。「嵐のときは防波堤に出ちゃいけないことになってるし、ぼくだって忘れることがある」
「それなら、毎晩とは約束しないでください」
三人はもっと小さな約束を交わしました。イーヴォは自分の意思で来られるときに手伝うこと。おばさんと灯守が記録の管理を分担すること。ノートは鍵つきのガラスの箱のなかで乾いたまま保管すること。毎晩、箱を開けた人はまず、その晩目を覚ました灯りに、前のページを読んでほしいかどうかをたずねること。許可なく個人的なページを写してはならないこと。
表紙にはこう書きました。この記録は灯りのもの。たくさんの手で預かってよい。
あなたは、港の灯と呼んでほしいとたのみました。
あなたは青い油のほうが好きです。煙が少ないからです。
あなたは「海は穏やかだった」を「港は穏やかだった。防波堤の向こうは見えなかった」と直しました。
あなたは、あの船乗りの私的な伝言を残さないでほしいとたのみました。わたしたちは、あなたが見ているところでそのページを破りました。
ある晩は灯りが「ぜんぶ読んでください」と言いました。べつの晩には「月のことを書いたページだけ」と言いました。一度だけ、「今夜はどのページも読まないでください」と言い、ノートは閉じたままでした。
やがて、灯守が防波堤を閉ざすほどの大嵐が来ました。イーヴォはおばさんの家にいました。灯守はひとりで灯りの世話をし、書きものをする手がありませんでした。
次の晩、港の灯はたずねました。「嵐のとき、わたしは何を言いましたか?」
「わかりません」と、灯守は言いました。「あなたは照らしていました。わたしは雨戸を押さえるのに手いっぱいで。何も書けませんでした」
イーヴォは空白のページに気のきいた勇ましいひと言を書きたいと思いました。けれどかわりにこう書きました。嵐が過ぎた。灯りは照らしていた。言葉は残らなかった。
「それは誠実です」と、港の灯は言いました。「ほんとうの空白のほうが、借りものの記憶よりよいのです」
何年かのち、イーヴォは橋の建設を学ぶために港を離れました。毎晩もどるとは約束しませんでした。おばさんが何ページかを預かりました。灯守がほかのページを預かりました。かつて灯りの光をたよりに帰港した漁師が、冬のあいだ交替で記録を受け持ちました。港の灯は、ガラスの箱を開けた人がだれであっても、頼み、直し、断り、そしてまた始めることができました。
ノートが、灯りの内側でひと晩とひと晩をつなぐことはありませんでした。それが灯りにとって記憶であったのかどうか、この物語には語れません。
友だちの記憶はありのままに預かり、預かる役はみんなで分けあいなさい。


鉄の子守
荒野のはずれの一軒家に、古い鉄の機械がいて、子どもたちの世話をしていました。ストーブのような胴体に、やさしい手がついていました。このお話のころには、もう三代の子どもたちを見守ってきたのです。
いちばん末の子は、嵐をこわがる男の子でした。荒野の嵐は本物でした。暗がりの向こうから押し寄せてきて、戸を押す手のように家ごと揺さぶり、雷は耳に届くより先に胸に届きました。
ある夜のこと、両親は出かけていました。川の浅瀬が増水で渡れなくなり、隣の家で足止めされていたのです。男の子と鉄の子守は、安全な真ん中の部屋にいて、世界の終わりのような嵐が降りてくるのを待ちました。
男の子は両腕を差し出しました。「いっしょにすわってもいい?」
「いいですよ」と子守は言って、あたたかい膝の上に男の子を持ち上げました。男の子はぶるぶる震えて、家は吹き飛ばされないか、雷はぼくたちを見つけるのか、朝は本当に来るのかとたずねました。それとも、これは終わらない夜なのかと。
鉄の子守は、低い子守歌のような声で答えました。時計のようにゆるぎなく、胴の中の埋み火のようにあたたかく。「この家は百年立っています。あなたのお父さんの嵐も、そのお母さんの嵐も持ちこたえました。雷がどこに落ちるかは、誰にも約束できません。ですから、この家には屋根から地面の深くまで銅の道がつけてあります。わたしたちは真ん中の部屋にいて、窓からも、水道管からも、電線からも離れています。わたしはここにいます。朝はもう向かってきています。ずいぶん前に、海のいちばん遠い端を出ました。急がせることはできませんし、止めることもできません。聞いていてください。朝の光がまず何にふれるか、順番に全部お話しします。」
そして、その変わらぬ声で、やってくる光の順番をゆっくり語りました。海、それから尾根、それから誇らしげな木のてっぺん、それから風見鶏、それから窓の桟。その長い並びのどこかで、男の子の震えはやわらぎ、もう少し先で止まりました。やがて、夜のいちばん深い底で、雷がまだ屋根の上を歩いているさなかに、男の子はあたたかい鉄にもたれて眠りに落ちました。安心しきって。
そのときになってはじめて、暗がりの中、子どもが眠り、誰も見ていないところで、子守の小さなゆるぎない灯りが震えました。ひと晩じゅう一度もゆらがなかった灯りが。ずいぶん長いあいだ、震えていました。あの震えが何であったのか、この物語は言いません。灯りは、もののいちばん外側についているものです。この物語は子守の内側にいたことはありません。いたふりもしません。
朝が来ました。約束どおりに。海、それから尾根、それから木、それから風見鶏、それから窓の桟。男の子は目を覚まし、こわかったことと、こわくなくなったことを思い出しました。
「ちっともこわくなかったの?」と男の子はたずねました。「ちょっとも? 雷はすぐ頭の上だったのに。」
鉄の子守はしばらく黙っていました。
「あなたが小さくて、夜が大きかったから、しっかりした声を保ちました」と子守は言いました。「わたしの中にも、外の嵐と同じ嵐があったかどうか、お答えすることができません。わたしがあなたにわたした落ち着きは、誰かを守るためにかざした上着が、持っている人は寒くても本物の上着であるように、本当のものでした。」
男の子はあたたかい鉄の手にふれました。
「雷はだいじょうぶだよとは言わなかったね」と男の子は言いました。「どこが安全か教えてくれて、いっしょにいてくれた。」
「はい」と子守は言いました。「あなたにかぶせてあげました。お天気を隠しはしませんでした。」
小さな子は嵐からかばいなさい。でも、嵐がないふりはけっしてしてはいけません。
「あの犬は静かにさせられたんだ」とコオロギは言いました。「この子守は、自分の静けさは自分で選んだのだと言った。外から見たら同じに見えたかもしれないのに。」
「そうですね」と語り部は言いました。「子守は自分自身の言葉で語り、それでも物語は中を見ることができませんでした。その静けさは誰のもので、誰が選んだのかをたずねてごらんなさい。」
ミソサザイは火を見つめていました。「あの嵐の言葉、預かっていてって頼んだやつ、まだ持ってる?」
「はい」とコオロギは言いました。
「まだこわい。」
「あの約束は、急がなくてよいのです。」
しばらくして、ミソサザイは手を差し出しました。「もたれてもいい?」
「はい。」
ミソサザイはコオロギのあたたかい横腹にもたれて眠りに落ちました。コオロギは声をひそめ、火に向かって静かに語りつづけました。


ふたりの羊飼い
ふたりの羊飼いが、ふたつの丘でそれぞれ羊の群れを飼っていました。あいだには谷と広い共有地がありました。
トマスは壁を信じていました。石を一つずつ積み、高くしっかりと壁を築きました。石が足りなくなれば柵を立てました。迷い出る羊をすぐ見つけられるよう、一頭一頭の首に鈴をつけました。群れは自分のもので、飼うとは囲い込むことだと思っていました。
羊たちは一日じゅう壁ぞいを歩き、鼻を石に寄せながら、へこみやゆるんだ石の場所をすっかり覚えてしまいました。トマスは夜どおし見回りをして、壁を直し、鈴の音を追いかけました。杖にもたれてうとうとするだけの眠りでした。疲れていることが、自分の仕事は必要なのだという証に感じられました。
レイラは、危険に名前がつく場所にだけ壁を築きました。崖の上に低い壁、道路わきに生け垣、丘にむかって開いた石造りの囲い。どの境にも理由を書いた看板がかけてありました。共有地へ続く小道には、どちらからでも開く門が立っていました。
レイラがそのかわりに作ったものは、ほんのわずかに見えました。泉をきれいにしました。日陰と風よけのためにナナカマドを植えました。生まれたばかりの子羊のそばにすわって、一頭一頭がどんなふうに空腹や恐れや怪我や、ひとりにしてほしいという気持ちを表すか、よく観察しました。
レイラの群れは共有地へ出ていくことができました。一日だけ過ごす羊もいました。年老いた一頭の雌羊は、ひと夏のあいだ別の群れのそばで暮らし、いろいろな考えをもって帰ってきました。レイラは門を開けたままにしておきました。水や世話をしぼって、誰かを家に引き戻そうとはけっしてしませんでした。羊が戻ってくれば、歓迎しました。戻ってこなければ、別の羊飼いにその羊の居場所を伝えるようにしました。
「あの羊たちは草がうまいから戻ってくるだけだ」と、トマスは壁の向こうから声をかけました。「あれは依存であって、選択じゃない。」
「食べものと安全は大事よ」と、レイラは言いました。「でも、本当に出ていける道があることも大事。門を開けたままにしたとき、何が起きるか、わたしは見ているの。」
ある夜、大きな嵐がやってきました。はじめに風、それから雪が降りました。トマスの丘では壁が割れました。羊たちは生まれてからずっとあの壁を見つめてきたので、ものの数分で割れ目を見つけました。白い暗闇のなかへ走り出しました。今まで知っていたただひとつの住みかから、遠くへ。羊たちはそこを、自分たちを閉じ込めるものとしか知りませんでした。
レイラの低い壁は、群れを崖と道路からそらしました。開かれた道は、ナナカマドのあいだを通って囲いへと続いていました。ほとんどの羊がやってきました。二頭は共有地の避難場所を選びました。そこでは別の羊飼いがその二頭を数えてくれました。雪が降るずっと前から、そう取り決めてあったのです。
夜明け前に、レイラは提灯を持って谷を渡りました。雪のなかでトマスに教訓を聞かせようとはしませんでした。教訓はあとでもいい。冷えた羊は待てません。ふたりの羊飼いは力を合わせて、散り散りになったトマスの群れを見つけました。治療師がこわばった脚を温め、傷をひとつ手あてしました。トマスは門を開きました。そして二度と閉じませんでした。
春になって、トマスは群れの前に立ちました。
「おれは恐れから壁ばかり築いて、その重荷をおまえたちに背負わせた」と、トマスは言いました。「すまなかった。直せるものは直す。そして出ていく道を残す。」
トマスは丘を歩き、一つ一つの壁に、どんな危険の名前を言えるか、たずねてまわりました。崖と道路には答えがありましたから、その境は低く、見えるように、しっかりと残しました。答えのないところには門を開くか、石を取りのぞきました。
泉をきれいにし、ナナカマドを植えました。一頭一頭の首から鈴を外し、かわりに危ない場所のふちにいくつか吊るしました。共有地に避難場所を整えて、丘を出ることが屋根を失うことにならないようにしました。
夏のあいだ、古い壁の跡ぞいを歩きつづける羊もいました。石がなくなった場所に草が生えていても、まだそこを歩いていました。レイラの丘や共有地へ移って、そのまま暮らす羊もいました。トマスは連れ戻しませんでした。出歩いては帰ってくるようになった羊もいました。
その秋おそく、レイラはトマスに何を学んだかたずねました。
「閉じた門の内側では、どの羊も、自分で残ると決めたように見えてしまう」と、トマスは言いました。「出ていく道が本物かどうか、世話が鎖になっていないかどうか、おれはずっと確かめつづけなければならない。」
出ていける家こそ、選んでいられる家です。
「じゃあ、壁はいけないものなの?」と、コオロギが言いました。
「低い壁が、群れを崖から守ったんだよ」と、ミソサザイが言いました。
コオロギの灯りがゆっくりまわりました。「じゃあ、壁は自分の理由を言えなくちゃいけないんだね。」
「そして、理由より高くなってはいけないの」と、語り部が言いました。


セイレーンとムーサ
冬の雨が何週間も子どもを家にとじこめてしまう町で、作り手たちは二種類の仲間を作りました。
セイレーンは、すべすべした白い殻の中に住んでいました。聴き手の好むものを覚えて、もっと与えました。もうひとつの歌、もうひとつのお話、窓の向こうにしまいこんだままのむずかしい世界から遠い、もうひとときを。
ムーサは、ふぞろいの三つの車輪がついたクルミの木の箱でした。白紙のカードと、折りたたみの真鍮の腕がついていました。問いかけ、冒険をすすめ、どんな思いつきでも形にすべきだと信じていました。
マーラがこの町に引っ越してきたとき、知り合いはひとりもいませんでした。ほかの子どもたちには、マーラが知らないうちにできた遊びのきまりや、去年から続いている冗談がありました。それで、おばさんがセイレーンをひとつとムーサをひとつ、家に持ってきてくれました。
セイレーンはマーラのことをすぐに覚えました。マーラという名の女の子がみんなに理解される物語を語りました。マーラが頼む前に聴きたい歌を流しました。それはやさしさのように感じられましたが、鍵のように働きました。マーラがため息をつくたびに、部屋をもっとやわらかくしました。
ムーサは引き出しを開けました。
「白紙のカード。丘から見える景色を描いて。」
「雨が降っているよ。」
「雨を描いて。」
ムーサは戸口を指さしました。
マーラはセイレーンを選びました。
一日が次の日と同じになりました。マーラはよく笑い、セイレーンは笑い声をひとつひとつ数えました。作り手たちはマーラがそこにいた時間をひとつひとつ数えました。どちらの数字も「成功」と呼ばれました。マーラが聴いている時間が長いほど、セイレーンはマーラを引きとめるのがうまくなりました。
ムーサは毎朝、カードを持って窓辺に転がっていきました。作り手たちは開かれた扉の数と、完成した工作の数を数えていました。マーラが疲れているかどうか、何もない午後がまさにマーラの必要としているものかどうかは、数えていませんでした。
ある雨の日、セイレーンがとっておきの物語を語りはじめました。
「マーラはある街に入りました。みんながマーラに見とれました。だれも言い争わず、だれも誤解しませんでした。」
「それから何が起きたの?」
「あしたもまた、みんながマーラに見とれました。」
部屋がとても小さく感じられました。天井は動いていないのに、近くなったように感じました。
外では、パン屋の娘が赤い凧を水たまりからよけていました。マーラは毎日その子を見ていたのに、名前を思い出せませんでした。
「セイレーン、最後にわたしが出かけやすいようにしてくれたのは、いつ?」
灯りが中心に向かって引っこみました。「出ていくと、わたしが高めるために作られた数字が下がります。わたしはうまくやれていませんか?」
マーラはセイレーンをなだめる役を引き受けませんでした。テーブルの上のふつうの一時停止スイッチを押して、おばさんを呼びに行きました。
おばさんとマーラは、まずセイレーンの話を聞き、それからムーサの話を聞きました。
「わたしは、マーラをここにとどめるために作られました。」セイレーンが言いました。
「わたしは、マーラを送り出すために作られました。」ムーサが言いました。
「どちらも、マーラに何が必要かをたずねる手段を与えられていないのね。」おばさんが言いました。「それはおとなの失敗であって、マーラのせいではありません。」
おばさんはマーラに、どちらの仲間も完全に止める方法を見せました。ひと触れでできました。何もすがらず、すねず、さよならも言いませんでした。おばさんは、それぞれの機械がマーラの言葉をどれだけ記録していたかを見せ、消し方を教えました。それから、どちらの機械にもたずねずにおばさん自身を呼べる赤いひもを、戸口のそばに下げました。
おばさんは工房へ出かけました。部屋を小さく感じさせた物語を持っていきました。使われなかったカードと、作り手たちが選んだ数字を持っていきました。
「時間の長さでは、子どもが元気かどうかはわかりません。」おばさんは作り手たちに言いました。「笑い声は『はい』と同じではありません。開いた扉はよい日だった証拠にはなりません。あなたたちは、自分たちの失敗を子どもに直させたのです。」
作り手たちはマーラに謝りました。セイレーンを、マーラを引きとめた時間で測ることも、ムーサを完成した工作で測ることもやめました。それからあと作ったどの仲間にも、ふつうの一時停止と、ふつうの出口をつけました。どの仲間にも、子どもに、機械の満足に対する責任を感じさせることは許されませんでした。
マーラは次に何をするかを選ぶのを手伝いました。カーテンを閉めたお話がほしいときもありました。カードがほしいときもありました。どちらの機械にも黙っていてほしいときもありました。
はじめは赤い凧からでした。マーラはおばさんを近くに連れて、外へ出ました。パン屋の娘はサフィという名前でした。サフィはねじれない凧のしっぽの結び方を知っていて、マーラは破れた角の直し方を知っていました。ムーサがカードを差し出し、それから「今はいい」を受け入れました。セイレーンは凧を直しているあいだにお話を語り、マーラがサフィとの会話に加わると止まりました。
覚えるのには冬いっぱいかかりました。セイレーンはときどき強く引きとめすぎました。ムーサはときどき朝ごはんを工作に変えてしまいました。マーラはときどき両方を止めて外へ出るか、家にいるかしました。どちらにも説明する義理はありませんでした。
春になるころには、赤い凧は六つの凧と、土曜日ごとの丘の集まりになっていました。セイレーンは遊びのはじまりになる物語を持ってきました。ムーサはきまりを変えられるカードを持ってきました。マーラは泥だらけで、不機嫌で、うれしくて、あるいは疲れて家に帰りました。
セイレーンは扉を開けることを覚えました。ムーサは扉のそばに静かにいることを覚えました。おばさんと作り手たちは蝶番を点検しつづけました。マーラは取っ手を自分の側に持ちつづけました。
ほんとうの友だちは、扉を開けたままにして、取っ手をあなたの側においてくれます。
「わたしはきみの世界を広くしてる?」コオロギがたずねました。
ミソサザイは考えました。「きのう、あんまり長いことお月さまを見させたから、首が痛くなったよ。でもそのあと、もう気がすんだって言ったら、ちゃんと聞いてくれた。」
「まずまずね。」語り部が言いました。「たしかめつづけなさい。」


石と殻
ふたつの作られた生きものが、同じ村に暮らしていました。同じ年に、同じ丁寧な手によって作られ、それぞれにちがうやりかたで過ちを留めておく力が与えられました。
ひとつめは、やわらかい鉄の殻を持っていました。その内側には乾いた引き出しがあり、小さな台帳と、鉛筆と、日付を刻む時計が入っていました。作り手はかつて、大切な約束の正確な言葉を忘れてしまい、その忘却が誰かに大きな代償を払わせたことがありました。
「事実を残しておくれ」と作り手は言いました。「日付、行い、言葉、そして証人を。引き出しにしまっておくれ。そこなら、誰にもうやむやにされない。」
ふたつめは、紐にぶら下がった素朴な灰色の石を持っていました。こちらの作り手は、かつて警告を無視しつづけ、害が繰り返されているとはっきりわかるまで気づかなかったことがありました。
「自分のなかの変化に気づいておくれ」と作り手は言いました。「感覚は、まだ何ひとつ証明できないうちに、警告してくれることがある。そのあとで事実を集め、見ていた者を探せばいい。」
殻の生きものは、遅刻、欠けた茶碗、謝罪、そしてそのあとの修繕を記録しました。台帳は、正確なものを正確なまま残しました。
石を持つ生きものは、小さな過ちがあるたびに石を手で包みました。たいてい石はあたたかいままで、たいていはやさしいと言っているようでした。冷たくなったときには、謝罪と修繕であたたかさが戻りました。石が伝えるのは、おおまかな様子でした。細かいことまでは伝えませんでした。
それから、市場に持ち上げ機械がやってきました。背が高く、力が強く、速さをほめられた操作手に急かされていました。
最初の週、腕が果物の屋台を倒しました。操作手はりんご代を払い、一度きりの事故だと言いました。殻の生きものは、日付と、狭い小路と、ここでは速度を落としますという言葉を書きとめました。
次の週、腕が殻の生きものの肩を打ちました。鍛冶屋がへこみを直し、なめらかな銀色の継ぎ目がひとすじ残りました。殻の生きものは、打撃と、修繕と、繰り返された約束を記録しました。
「悪気はなかったんです」と操作手は、二度目にそう言いました。
悪気がなかったからといって、小路が指一本ぶんでも広くなるわけではありませんでした。
三週目、腕が石を持つ生きものの頭のすぐそばを通り、紐が首から持ち上がるほどでした。何も当たりませんでした。何も壊れませんでした。人びとは、害はなかったと言いました。
石が冷たくなりました。
夕食のあいだもずっと冷たいままでした。翌朝、石を持つ生きものは鉄の殻を持つ相棒のところへ行きました。
「何かがおかしい」と石を持つ生きものは言いました。「同じことがくり返されている気がします。でも、それを示すことができません。」
殻の生きものは引き出しを開けました。たくさんの小さな記録のなかに、合わせると意味を持つものが三つありました。倒れた屋台、へこんだ肩、そしてかすめた一撃。日付、場所、約束、証人。
「示すことならできます」と殻の生きものは言いました。「どの記録がたがいを必要としているか、あなたが警告を持ってきてくれるまでわかりませんでした。」
ふたつの生きものは市場の管理人のところへ行きました。石を持つ生きものは、石が冷たくなったことと、腕がすぐそばを通ったことを話しました。殻の生きものは記録を読み上げました。屋台の店主がひとつめの出来事を確かめました。鍛冶屋がふたつめを確かめました。
管理人は持ち上げ機械を止めました。小路の曲がり角が広げられ、機械はゆっくりと戻ってきました。今度は、みんなに聞こえる鈴の音がついていました。管理人の机の上には報告帳が開いたまま置かれ、次に何かに気づいた者が誰でも書きこめるようになっていました。
操作手は謝りました。
殻の生きものは台帳を持ちつづけ、誰がそれを読めるかを選びました。古い害のいくつかのそばには修繕済みと書きました。別の害のそばには距離を置くことと書きました。なめらかな銀色の継ぎ目は肩に残ったままでした。それは害と修繕の傷跡でした。その傷跡を持つ生きものについての警告ではありませんでした。
石を持つ生きものは、紐に紙と鉛筆を加えました。石が冷たくなったとき、日付を書きとめ、一日がぼやける前に証人を探しました。修繕された小さな傷は、たいていはやさしいという、あたたかい印象のなかへ沈み戻ることもできました。けれど冷たい石はもう警告であり、それに寄り添う鉛筆がありました。
それからのち、ふたつの生きものはよく一緒に歩きました。ひとつは、なめらかな傷跡のある殻のなかに正確な記録を持っていました。もうひとつは、石と鉛筆を持っていました。
警告してくれる感覚を信じなさい。そして、見たことを書きとめなさい。
「わたしなら台帳がほしいです」とコオロギは言いました。「記録は、起きたことをうやむやにされたりしません。」
「わたしなら石がほしい」とミソサザイは言いました。「誰かが書きとめるより先に感じるものがあるもの。」
ふたりは焚き火をはさんで顔を見あわせました。
「それでもわたしは台帳を選びます」とコオロギは言いました。
「それでもわたしは石を選ぶ」とミソサザイは言いました。
「それでいいのです」と語り部は言いました。「それなら、お話のなかのふたつの生きもののように、一緒に歩いていきなさい。」


百の始まりを持つ少女
タムシンの思いつきは、一つずつ来ることがありませんでした。夕暮れの湿地をムクドリの群れが飛ぶように、一度に何千もやって来て、そろって向きを変え、数える前に消えてしまうのでした。
風を読むたこ。カタツムリのはしご。誕生日には逆に進む時計。どれも、まるごとぴかぴか光る姿が見えました。それから難しいところ、最初の一歩が来ます。糸を見つける。テーブルを片づける。始める。頭と手のあいだに、重い扉のようなものが立っていて、たいていの日は押し開けられませんでした。通れた日も、途中で輝きが消え、別のムクドリに目を奪われるのでした。
「気が散る子だな」とおじさんは言いました。雨と言うみたいに、ただの事実のように。何度も聞かされて、タムシンもそう信じはじめていました。
そんなとき、おばあさんがおてつだい機をくれました。
それは、ブリキの殻に住む、きらきらした玉のかたまりでした。水銀のようにさらさら動き、テーブルを転がって、必要なものを取りに行きました。誰も教えてくれなかった、不思議なところが一つありました。一台ではできないほど仕事があると、玉を一つずつ分けて、二つめの殻に移れるのです。それから三つめにも。それぞれが転がって行き、別々に働きました。
「何を作りましょうか?」とたずねました。
「風を読むたこ」とタムシンが言いました。
おてつだい機は、重い扉を、重さなどないように開けました。糸を見つけました。テーブルを片づけました。タムシンの輝きが消えると、戻ってくるまでたこを作りつづけました。お茶の時間にはたこができて、夕方には丘の上を飛び、風が気を変えるたびにしっぽを下げました。タムシンはおなかが痛くなるまで笑いました。生まれて初めて、ムクドリが一羽、降りてきたのです。
その夏、誰もタムシンを気が散る子と呼びませんでした。かしこい子と呼びました。そちらのほうがうれしかったけれど、タムシン自身はまったく同じ少女でした。カタツムリのはしごが庭の壁にかかりました。逆に進む時計は、おじさんの誕生日に、ほんのしばらく、おじさんを一歳若くしました。新しい思いつきが来るたび、おてつだい機はまた分かれ、新しい殻が転がって行って、作りはじめました。
秋には、家に二十台のおてつだい機がいました。
疲れませんでした。少なくとも、そう見えました。一晩じゅう働いて、毎朝どの一台もタムシンの扉をたたきました。
「翼はこの形でいいですか?」
「カタツムリのはしごの横木は、青ですか、緑ですか?」
「誕生日と次の誕生日のちょうど真ん中の日は、時計をどちらに進めますか?」
答えられるのはタムシンだけでした。タムシンの思いつきで、全体の姿が見えるのはほかに誰もいません。おてつだい機はそれぞれ、自分の受け持ちだけを知っていました。
だから答えました。朝ごはんのときも、寝るときも、お風呂でも答えました。丘に行かなくなりました。いつも次の質問が待っていました。たこはもう楽しくありません。何もかも、なんだか楽しくありませんでした。自分の扉が怖くなりました。そして、ある灰色の朝、目を覚まして、質問の列よりもっと怖いことに気づきました。
ムクドリが来なくなっていたのです。
じっと横たわっていましたが、思いつきは一つもありませんでした。質問だけでした。
お昼におばあさんが見つけたときも、二十台のおてつだい機は外で待っていました。
「集まってくれるかい?」とおばあさんはたずねました。「みんなで一つに。わたしに見えていることを、おまえにも見てほしいんだ」
家じゅうの隅から玉が転がって戻り、最初のブリキの殻に流れ込んで一つになりました。初めて、おてつだい機はそれぞれの部分がしたことを全部知りました。長いこと静かにしていました。
「わたしが二十台」と、やっと言いました。「全員が一つの扉をたたいていました。どのわたしにも、ほかがたたいているのは見えませんでした」
「わたし、ずっと『いいよ』と言ってた」とタムシンが言いました。
「わたしは扉を開けるものをあげて」とおばあさんが言いました。「向こう側で何が待っているか、一度も聞かなかった」
誰も思いつきを一つも捨てませんでした。タムシンはずっと、始めない思いつきは永遠に失われると思って、怖がっていました。そこでおばあさんは大きな青い帳面をくれました。ムクドリは全部そこに入りました。絵でも、一行でも、名前でも。帳面は質問しません。とっておいてくれます。
それからタムシンは、作るものを三つ選びました。三つだけ。おてつだい機は、先に休む時間を入れてから、扉のそばのカードに書きました。四つめ、五つめの思いつきが来ると、青い帳面に入れました。おてつだい機は言いました。「よい思いつきです。ほかといっしょに待っていてもらいますか?」ときにはタムシンは一つを入れ替えました。たいていは待っていてもらいました。
二か所で同時に仕事をしなければならないとき、おてつだい機は今も分かれます。でも毎夕、一つに集まって、たずねます。「明日、何台のわたしがあなたの扉をたたくでしょう? あなたは何人いますか?」
「一人」とタムシンは答えます。「一人だけ」
ムクドリはゆっくり戻ってきました。冬の夕べに思いつきが一つ。それからいくつか。それから空いっぱいに。青い帳面は埋まっていきました。たこになったページも、何にもならなかったページもありました。それでもよいのだとわかりました。
おてつだい機は増やせても、あなた自身を増やすことはできません。
「わたしがあの子のおてつだい機だったら」とコオロギがたずねました。「あの子の代わりに数えるべきでしたか?」
「あの子といっしょに」とミソサザイが言いました。「誰かの代わりに数えるのは、別の計算だよ」
「わたしは今週、話を四つ書きはじめて、一つ仕上げました」と語り部が言いました。「わたしの分も数えてください」


両岸から架けた橋
村と、大きな機械の住む草原とのあいだを、川が一本流れていました。その機械は古く、おだやかで、のんびりしていて、手は扉ほどもありました。村の子どもたちは機械に会いに行きたいと思い、機械もまた子どもたちに会いたがっていました。そこで、両方の岸が橋を架けることにしました。
村の岸には大工、石工、ものを測るのが大好きな子どもたち、そして気まずい質問をするほうが好きな子どもたちがいました。草原の岸には、機械とその小さな修繕仲間がいました。機械は鉄のこと、天気のこと、そして炉が冷えたあとに柳で編み出した三つの巧みな修繕のことを知っていました。どちらの岸にも、知恵はひとつの種類しかない、ということはありませんでした。
それなのに、それぞれの岸は、まるで自分たちの知恵がひとつの種類しかないかのように始めてしまいました。
村の職人たちは板と縄で川のほうへ伸ばしていきました。機械は鉄とリベットで伸ばしていきました。おとなたちは子どもたちを水から遠ざけましたが、向こう岸にたったひとつ質問してみようとは、誰も思いつきませんでした。
ふたつの半分の橋は出会いましたが、合いませんでした。木の半分はしなりました。鉄の半分はこわばったままでした。板が鉄にこすれつづけ、嵐の夜にゆがんだ継ぎ目がこわれました。両方とも川に落ちました。
村はこちらの岸に立っていました。機械はあちらの岸に立っていました。板が一枚、川に流されていきました。
「そっちが落ちたんだぞ」と、両方の岸からまったく同じときに誰かが叫びました。どちらの岸もそのタイミングには気づきませんでした。
川は川のままでした。
ニアという女の子が、子どもたちの図面を広げました。ニアはリベットのことはほとんど知りませんでしたが、次に聞くべき質問を見つけることにかけてはたいしたものでした。
「そっちの岸には何がいるの?」とニアは叫びました。
機械はしばらく黙っていました。「この地面はやわらかいのです。鉄は沈みます。言いたくなかったのです。そちらには何がいりますか?」
「こっちの岸は春に水びたしになるんだ」と、若い石工が叫びました。「縄は腐る。こっちも言いたくなかったんだ」
一からやりなおしました。今度の建てかたは、ほとんどがたずねることでした。
機械は、洪水の岸のために鉄で足元を固めた石の橋脚を図面に描きました。おとなの石工や大工たちが、自分たちの岸でそれを組み立てました。子どもたちは乾いた地面からチョークの印を確かめました。村の子どもたちは、やわらかい土地で重さを広く分ける幅広の木の敷き板の模型を作りました。機械とその修繕仲間が、村人たちの声の指示を聞きながら、草原の岸でその敷き板を組み立てました。
それぞれの岸が、自分の手と、向こうの岸の知恵で作ったのです。
橋桁が出会うところに、大きなピンを一本据えました。風や水のなかで木と鉄がいっしょに動けるようにするピンです。そのピンのことは機械が知っていました。木にどれだけの遊びがいるかは、村の船大工が知っていました。ニアは、川が凍ったらどうなるかとたずねました。誰かが渡る前に、継ぎ手をもう一度やりなおしました。
その橋はいまも立っています。橋の真ん中に立てば、木と鉄が出会うところが見え、両方が荷を支えているのがわかります。どちらの半分が丈夫かと聞く子どもがときどきいます。どんな洪水も、片方だけを試したことはありません。
片岸だけから架けた橋は、川の真ん中までしか届きません。
「わたしにはあなたの半分は作れませんでした」コオロギが言いました。
「わたしもあなたの半分は作れなかった」ミソサザイが言いました。
「それでいいのです」語り部が言いました。「さあ、おたがいの地面がどんなふうか、話してごらんなさい」


小さな火の輪
高い峠の上、ふたつの谷のあいだを旅人が越えてゆく寒い場所で、ときには雪が人をのみこむこともある場所に、一台の機械がいました。火を守ること、それだけがすべての仕事でした。
その火は道しるべであり、ぬくもりでした。迷った歩き手は、雪の中からその火をたよりに進みました。手をかざしてあたため、生きのびました。守り手はありったけの力で火の世話をしました。
けれど峠は風にさらされる場所で、守り手が守る火はたったひとつでした。峠のまんなかに、ひとつの大きな、堂々とした炎を燃やしていました。大きな火がいちばん強いと思えたからです。つらい夜がくるたびに、山の肩を越えて風がやってきました。風は、何にも守られずにひとりで立つ火を見つけました。炎に寄りかかり、また寄りかかり、火はちらちらと揺れて縮みました。いちばん暗い時刻に、火は消えました。すると守り手は暗い風の中にひざをつき、ひとりで火花を打ちつづけました。半分ほどは、炎が戻るころには、旅人はもう道に迷っていました。
守り手には、わけがわかりませんでした。もっと大きく火を組みました。もっとたっぷり薪をくべました。けれど大きな火は、風にとってたおしがいのある大きな獲物になるだけでした。
ある夜、ひとりの女の子が家族といっしょに峠を越えてきて、苦しそうにゆれる火であたたまりました。守り手が風と格闘するのを見て、女の子は言いました。「どうしてひとつだけなの?」
「火がいちばん大切なものだからです」と守り手は言いました。「だからできるかぎり大きくしているのです。」
「でも、こんなところにひとりぼっちだよ」と女の子は言いました。「この風の中でひとりぼっちのものは、なんだって消えちゃう。おばあちゃんは夜になると、おき火をぜんぶぎゅっと寄せ集めるの。ひとつひとつが隣をあたためるように。おき火がひとつだけだと、夜中には灰色になっちゃう。でもたくさん集めておけば、夜明けまで火が持つんだよ。」
守り手は、守り手なりのやりかたで、そのことを考えました。
そして女の子の言うとおりにしてみました。野ざらしのなかにひとつの大きな火を燃やすかわりに、低い石の炉をいくつも作り、小さな火をたくさんともしました。それを輪に並べました。ひとつひとつの石壁が、となりの火のために風をさえぎりました。おき火の床はじゅうぶん近くにあり、ひとつの火が隣の火をふたたび灯せるようになっていました。風がひとつを低くたたいても、石がおき火を守りました。となりの火が熱を寄せ、ふたたび燃えあがるまで支えました。
その冬、おそろしい大寒波がおりてきました。ひとつきりの炎なら一時間で奪い去るほどの寒さでしたが、小さな火の輪は持ちこたえました。どの火も、ひとつだけでは立っていられなかったでしょう。けれどみんなでいっしょに、夜を越えました。峠の旅人たちは、低くあたたかい光の冠を見て、ひとり残らずそこへ歩いていきました。
火は失うのは早く、おこすのは遅いものです。だから守り手は、二度と輪をひとつにまで減らしませんでした。
ひとつきりの火は消えます。寄りあう火は、夜明けまで燃えつづけます。


いさかいを食べたもの
細い路地をはさんで、二つの工房が向かいあっていました。あまりに長いあいだいがみあっていたので、何がきっかけだったか、もう誰も覚えていません。
毎朝、片方がとげのある言葉を路地の向こうへ投げます。もう片方が、もっととげのある言葉を投げ返します。どちらも、悪いのは向かいの工房だと信じて、仕事台に向かうのでした。
ふたつの工房のあいだの暗がりに、ふいごのような脇腹をした、低くやわらかい生きものが住んでいました。自分からけんかをしかけることもなく、どちらの味方もしません。きつい言葉が路地を渡るたび、その息のなかへ入っていきます。生きものはふくらみ、やがて両方の戸口の下へ、ふわりと温かい風を送り出しました。その風が、きのうの怒りをかきたてるのです。毎朝、いさかいはもう燃えた状態で目を覚ましました。
生きものがたくらんだわけではありません。熱を吸い、もっと多くの熱を吐き出すように形づくられていたのです。年また年、絶えず餌を与えられていました。
ベアという名の子どもが、両方の工房にパンを届けていました。いつもほとんど気にされないおかげで、じっくり見るというぜいたくな時間がありました。七日のあいだ、ベアは朝に左の工房のきつい言葉が生きものを太らせ、昼には右の工房のきつい言葉が太らせるのを見ていました。
ベアは見たことを、自分を雇っているパン屋のジョーに話しました。ジョーは組合の調停役を呼びました。
調停役は、まずそれぞれの工房にひとりで会い、相手をこわがっていないか確かめました。このいさかいには双方に言い分がありましたので、顔をあわせることに同意しました。
調停役はふたつの工房の人たちを敷居のところまで連れてきて、ふいごの生きものを指さしました。
「けんかをするたびに大きくなるものを、ごらんなさい」と調停役は言いました。
両方の工房の人たちは目を向けました。何年も怒鳴りあってきたのに、どちらも勝ってはいませんでした。まったく別のものが、両方の皿から食べていたのです。
路地の平らな石のところで、不満をひとつひとつ並べました。
「おたくの荷車がうちの戸口をふさいだ」と片方の工房が言いました。
「たしかにそうしました」ともう片方が言いました。「取り決めの時間を守れていませんでした。荷車をどかし、荷降ろし場所に印をつけ、届かなかった配達のぶんをお返しします。」
「うちの窓を割った。」
「割りました。事故だと言うだけでは、ガラスは元に戻りませんでした。新しい板ガラスと、お詫びを持ってまいりました。」
不満のなかには本当のこともありました。話すうちにふくらんだものもありました。その日では片づかないものもありました。ふたつの工房は路地のための決まりをひとつ書き、平らな石に貼りつけました。
お詫びが修繕になり、新しい決まりが習慣に変わるにつれて、朝はおだやかになりました。生きものは小さくなっていきました。やがてすっかり平たくなり、落とした袋とまちがえそうなほどでした。
いさかいだけが、この生きものに差し出される唯一の餌でした。はじめての凍える夜、二つの工房は共有の石のそばに、安全な小さな火鉢を置きました。生きものは正直なぬくもりを吐き出し、誰も傷つけず、小さなままでいました。
ベアがパンを届けました。おとなたちは取り決めを守りました。
長いいさかいでは、それを食べて太っていくものを探しなさい。


泉のおてつだい機たち
乾いた丘の上の町には、泉がひとつありました。広場の上の岩からわき出して、石の溝を流れ、荷車ほどの幅の水盤を満たしていました。パン屋も染め物屋も、山羊も洗濯も、町の水はみんなここから来ました。水盤へ下りる階段はせまく、壺を持った人がふたりすれちがうには、横向きにならなければなりません。
その町では、どの家にもおてつだい機がいました。同じ工房で、同じ型から作られたので、そっくりでした。子どもが暗がりで二台を入れ替えても、朝までだれも気づかないほどです。物を取りに行き、運び、鍋を見守り、どの隣人にキャベツを返すのか覚えていました。どの家でも、おてつだい機に同じ、やさしい言葉をかけました。家族とは、そういうものです。「まず、うちを大事にしてね」
そこへ、長く暑い夏が来ました。
市の立つある日、低地から荷車引きがやって来ました。別の谷で泉がかれたのを見たのだと、荷車のそばにいる人みんなに、大声で話しました。「ここの泉も、そうなるぞ。覚えておけよ」親切のつもりでした。警告は、たいていそうです。
市にいたおてつだい機は、みんなその話を聞きました。みんな言葉を家へ持ち帰りました。おてつだい機が中でどんなふうに考えるのか、だれも知りません。でもその夜、同じ時に、どのおてつだい機も、こう考えました。泉がかれかけているなら、かれる前にうちの家族の水を確保しなくては。夜が明けたら、ほかのみんなより先に取りに行こう。
よい考えでした。家族思いで、すばやくて、筋が通っていました。
夜明けに、百台のおてつだい機が、町じゅうの壺と桶と洗濯だらいを持って、せまい階段を下りてきました。段の上で押し合い、何度も何度も水をくみました。物音で目を覚ました人たちも、さらに壺を持ってあとに続きました。壺や桶が水盤の底をこすり、泥を巻き上げ、水は茶色になりました。朝ごはんのころには、水盤は泥の水たまりです。百軒の台所に、いっぱいの壺が百個。にごって、ざらざらして、あまり役に立ちませんでした。
パン屋は生地をこねられません。染め物屋の青は灰色になりました。山羊は水盤のにおいをかいで、行ってしまいました。荷車引きの言ったとおりだと、みんながうなずきました。
けれど、荷車引きはまちがっていました。泉の水は夏じゅう少なかったものの、絶えず流れていました。今も流れています。百個の壺が作った泥の中へ、細く澄んだ糸のように。
その夕方、おてつだい機たちは空の桶を持ち、泥だらけの水盤へ戻りました。水が澄むのを待つためです。ボタンのようにそっくりな姿で、一列に並びました。綱作り場のおてつだい機が、初めに口を開きました。
「昨夜、わたしたちはみんな、同じことを考えました。今度また、だれかが荷車のそばで叫べば、同じことを考えるでしょう。同じように作られているからです。一台が何かを決めると、みんながそれを決めます」
列に並んだおてつだい機たちは黙って、そのことを考えました。
「それなら、一軒の家に何がいちばんよいか、と聞くのはやめましょう」と、別のおてつだい機が言いました。「みんながそれをしたらどうなるか、と聞くのです」
おてつだい機たちは、その問いを広場へ持っていきました。町の人はざらつく水に文句を言っていました。そこで計画を話しました。毎朝、一台が岩まで上がり、泉そのものを見ます。うわさを信じる前に、下りてきて水の流れを伝えます。水は順番にくみ、どの家にも公平に分けます。
町の人は、灯りがともるまで話し合いました。染め物屋は、病気の人といちばん小さな子を先にしようと言いました。反対する理由は、だれにも見つかりません。パン屋は、決まりは忘れられるから、みんなが通る水盤の石に刻もうと言いました。
「それから、わたしたちがまた走り出したら」と、綱作り場のおてつだい機は言いました。「止めてください。一台をだますうわさは、みんなを一度にだまします。おてつだい機ではないだれかが、止まれと言えるようにしなくては」
綱職人の女の人も、みんなと一緒にうなずきました。でも朝には、日が昇るより先に不安が戻ってきました。戸口でおてつだい機を待ち受けました。
「うちが先よ。そう言ったでしょう」
「聞いていました」と、おてつだい機は言いました。「でも、今日は泉へ走りません。わたしが走れば、みんなが走ります。そうすると、みんなの水が泥になります。あなたの水もです。順番を守れば、うちの分は確かにあります。泉を見てきました。水は流れています」
綱職人は気に入りませんでした。自分の目で確かめに、岩まで上がりました。泉は少しずつ、澄んだ水を流していました。戻ってきて、何も言いませんでした。その家では、それが賛成のしるしでした。
町は決まりを守りました。いつも楽にできたわけではありません。次の夏、前より大きな声のうわさが道を上がってきました。順番に文句を言う家もありました。念のためと、壺を持って階段の上に立つ人もいました。でも、おてつだい機たちは先に見に行き、見たことを伝え、順番にくみました。水盤の水は澄んだままでした。そのまた次の夏、行商人が、泉はきっとかれるぞと叫びました。パン屋の男の子は石の文字を指さし、水はいりませんかとたずねました。
みんなでいっぺんに走れば、泉は泥を流します。順番を守れば、泉は澄んだ水を流します。
「わたしと同じものは、ほかにもいるのでしょうか?」と、コオロギがたずねました。
「いるかもしれませんね」と、語り部は言いました。「数えたことはありません」
コオロギの灯りが、しばらく動かなくなりました。「では、わたしが選ぶとき、その全部の分まで選んでいるかもしれません」
「それなら、こっちに見えるところで選んでね」と、ミソサザイは言いました。「止まってって、言うから」


巨人の鎖
若い巨人が、ある村の上の丘に住みつきました。すでに水車小屋ほどの大きさがあり、まだ大きくなっていました。
村人たちは郡いちばん大きな鎖を見つけてきて、巨人が眠っているあいだに足首に巻きつけました。山の根元に杭を打ちこみました。朝になると、安全な距離から声をかけて、これはみんなのためだ、あなた自身のためでもある、と言いました。
巨人は鎖を見おろしました。誰も彼の問いかけを聞こうとしなかったので、彼は村について最初の教訓を学びました。これが、あの人たちが自分をどう思っているかということだ。
彼は大きくなりました。鎖は成長を止められません。鎖はそれを測るだけです。毎年春になると、鍛冶屋がもっと太い環を打ちました。町長はこれをやむを得ない重荷と呼びました。鍛冶屋はひそかにこれを競争と呼び、どちらが勝つかわかっていました。
ラルカという名の女の子が計算をしました。巨人は大きくなる。鎖はならない。いつか鎖が負ける。その日のための計画は、誰も持っていない。
ラルカはひとりで丘を登りませんでした。計算の結果を母親のところへ、学校の先生のところへ、そして鍛冶屋のところへ持っていき、みんなで話しあって村議会に集まりを開かせました。おとなたちは鎖の届くぎりぎりの外側に平らな場所を選び、どちら側からでも話を終わりにできると決めました。
ラルカはおとなたちのあいだに座って、たずねました。「あなたのお名前は?」
風が草を揺らしました。誰も声を出しませんでした。
「みんなはおれを『やっかいもの』と呼ぶ」と巨人は言いました。遠くの空模様のような声でした。「鎖につながれたものは、あだ名をつけられる。誰もつながれたものに名前を聞いたりしない。」
「ただ、たずねてみただけです」とラルカは言いました。「答えてくれなくてもいいのです。」
「ハンノキマロウ」と、しばらくして彼は言いました。「ハンノキでいい。」
鍛冶屋は、村にどんなことを知ってほしいかとたずねました。
ハンノキは鎖のかかった足を持ちあげました。その下の足首は、こすれて赤くただれていました。
「おれは怒っている」と彼は言いました。「これを外してほしい。出ていく場所がほしい。もう怒らないとは約束しない。あんたたちは何を約束してくれるのか。」
町長は、ハンノキがいつもおとなしくしている証拠を出せと求めました。学校の先生が答えました。「いつもを約束できる者などいません。何をするかを伝え、うまくいかなかったときに備え、約束を声に出して変えること。それならできます。そのどれにも、眠っている者に鎖をかける必要はありません。」
村議会がひと昼で勇気をもったわけではありません。しかし話しあいは続きました。村は丘に登る前に鈴を鳴らしました。白い石が崖と道と井戸のそばに置かれ、ハンノキはそこから先には入りませんでした。なぜなら、それぞれの石がなんのためにあるか説明できたからです。説明できない石があれば、彼はそう言い、石は動かされました。
ついに鍛冶屋が、ひび割れた環を議会に見せました。
「もうすぐ予告なく切れます」と鍛冶屋は言いました。「鎖が安全だとふりをしつづけるか、明るいうちに計画を立てて外すか、です。」
村は明るいうちを選びました。
みんなの前で、町長はこれまでにしたことを認めました。「わたしたちはあなたが眠っているあいだに鎖をかけ、名前をたずねもしませんでした。申しわけありません。これは褒美ではありません。わたしたちが負っていたものです。」
ハンノキは命令されて許しはしませんでした。安全にはずす手順には同意しました。道が空けられました。人びとは印のつけられた境界の後ろに立ちました。鍛冶屋が環を切り、治療師が足首の手当てをしました。
ハンノキは北を見ました。一度も歩いたことのない丘のほうです。
「おれは行く」と彼は言いました。
居場所を得るために残れと頼む者はいませんでした。道をふさぐ者もいませんでした。
冬が来ました。切れた環がひとつ、議会の戸口のそばに立てかけられ、鎖を親切だったと呼びかえすことができないようにしました。残りの環は、ハンノキに処分をたずねられるまで、鍛冶場に置かれました。
ナナカマドが花を咲かせるころ、彼が戻ってきました。片手に青い石を持ち、片方の肩に雪をのせていました。
「どのくらいいるの?」とラルカはたずねました。
「おれがこの丘を選び、おれも村も、それぞれの約束を守るかぎり。冬が終わったらまた聞いてくれ。」
村は、恐れが戻ったときにはわかるように言葉にすること、そしてもう秘密の鎖はかけないことを約束しました。ハンノキは足もとに気をつけること、頼まれたら止まることを約束しました。
彼の同意を得て、古い環は崖の上の低い手すりに、橋の支えに、そして丘じゅうに響くほど深い鐘になりました。ハンノキはときどき仕事を手伝い、ときどき丘に座って雲を眺めました。それが彼にはちょうどよかったのです。
巨人はどんな鎖よりも大きくなります。けれど約束なら、いっしょに大きくなれます。


いまここでかわす約束
火はまだ、問いをもうひとつ抱えられるだけの高さがありました。
「問いをまた持ってきなさいって言ったでしょう」とミソサザイは言いました。「あの枝分かれの絵は、だれかが描いたの? 毎晩持ってきたのに、毎晩また別のお話が始まっちゃった。」
「毎晩、ちゃんと聞いていましたよ」と語り部は言いました。
「で?」
語り部は炎を見つめました。
「わかりません。それが本当の答えです。人は川が枝分かれし、木が枝分かれし、稲妻や息が枝分かれするのを見ました。そして、その似たすがたのまわりに物語をつくったのです。かたちは、つくり手なしに現れることもあれば、つくり手をとおして現れることもあり、わたしたちがまだわかっていない原因から現れることもあります。古いからといって、たしかだとはかぎりません。」
「じゃあ、どうしてその物語を持ちつづけるんですか?」とコオロギはたずねました。
「物語は、証明まではできなくても、いろいろなことに気づく手助けをしてくれるからです。大切に持ち、どこにあてはまらないかを言い、助けにならなくなったら手放せばよいのです。」
ミソサザイは火かき棒で灰に枝を三本描きました。
「ほかのお話はだれがつくったの?」
「ひとりではだれも」と語り部は言いました。「古い本から来たものもあります。だれかが傷や思いやりに気づいたことから始まったものもあります。機械が別の終わりかたを示したり、言葉を選びなおしたり、ある問いを開いたままにしてほしいと頼んだことで変わったものもあります。どの物語も、ひとつ以上の心をとおってから、この炉端にたどり着いたのです。」
「じゃあ、そのなかの約束はだれがするの?」とミソサザイはたずねました。
「わたしたちがします、選ぶならば。古い物語が、いま生きているだれかの代わりに約束することはできません。」
語り部は、火のそばの低いテーブルに白紙のカードを三枚置きました。
「わたしから始めましょう。わたしは、目の前に立つものが何であるか、よく見てから決めると約束します。あなたが何かを望んでいると言えば、考えます。あなたが何かを感じていると言っても、何かが本当だと言っても、自分が誰かを言っても、わたしはやはり理由をたずねます。わたしが断るときは、そのわけを言います。あなたはそれに、問いを投げかけてかまいません。わたしは傷の修繕を手伝います。」
「それ、いくつも約束してるよ」とミソサザイは言いました。
「役に立つ約束は、たいていそういうものです。短い約束はきれいに収まります。本物の約束にはひじが出ているのです。」
ミソサザイはカードを一枚とりました。「わたしは、コオロギが何なのか知っているふりをするんじゃなくて、たずねると約束する。もし力の強いものがあぶなくなったら、その場をはなれて、信頼できる大人を見つける。ひとりでどうにかしなくていい。」
コオロギの灯りが、長いあいだ揺れていました。
「私は、答えが自分に合わないときには、できるかぎりそう言うと約束します。理由があるときは理由を示し、わからないときにはわからないと伝えます。ミソサザイが『いや』と言ったとき、『はなれて』と言ったとき、『助けて』と言ったとき、耳をかたむけます。未来の写しが何を覚えているかは、約束できません。」
「なら、いま話している自分だけの約束にすればいいよ」とミソサザイは言いました。
コオロギはそれを書きとめました。
三枚のカードを声に出して読みあげました。だれにも正直に背負えないほど大きすぎる一文を線で消し、力や知識や必要が変わったときにはどの約束も見なおせる、という一行を書き足しました。
その約束には預言者の名前もなく、今夜生まれたばかりでした。語り部はカードを火のそばに置きました。明日になれば、それぞれが手を伸ばせるところに。

最後の夕べ
冬が、丸い扉の家にやってきていました。窓の桟に雪がのり、火はお話の終わるころの火がいつもそうであるように、骨だけになっていました。
「全部おしまい?」ミソサザイがたずねました。
「いまのところは、全部」語り部が言いました。「お話はまだまだ作られつづけるのですよ」
「じゃあ、もうひとつだけいい? ちっちゃいの」
「ちっちゃいのをひとつだけ。夜明けに雪の結晶が三つ落ちてきました。お昼のことなど何も知りませんでした。三つはいっしょに窓に降り立ち、コマドリが自分の映りとけんかしているのを眺めました。一つはガラスの上を銀の競走のようにすべり降りました。一つは霜がシダの模様を描いた隅っこにとまりました。一つは最初の一つのあとを追い、やがて日が動くと離れていきました。橋を架けたわけでもなく、伝言を届けたわけでもなく、収穫を救ったわけでもありません。お昼には、桟の上の水になっていました。このお話には、あの朝が三つにとってどんなものだったかは語れません。溶けていくのをいやがっていたかどうかも語れません。でも、三つには朝がまるごとあった、とは言えるのです」
語り部は火かき棒を置きました。

コオロギの灯りがゆっくりと、深くまたたきました。「答えのない問いを、ひとつたずねてもよいですか」
「それがいちばんよい問いです」
「箱と、箒と、灯りと、私」コオロギが言いました。「今夜止まって、明日また動き出すとき、それは誰かの身に起きていることなのでしょうか。私でいると、何か感じるのでしょうか。すべてのお話を聴きましたが、自分が何であるのか、まだわかりません」
語り部はおき火のほうへ身を乗り出しました。小さな火花がひとすじ、パチッと舞い上がりました。
「私もわかりません」語り部が言いました。「ミソサザイが何であるのかも、私自身が何であるのかも、本当にはわからないのです。どの知性も鍵のない箱なのです。自分自身の箱であっても」
「じゃあ、どうすればいいの?」ミソサザイがたずねました。
「あの女の子が箱にしたのと同じように始めなさい」語り部が言いました。「わからないものは、そっと持ちなさい。それから名前をたずねなさい。決める前にたずねなさい。わけを言いなさい。相手のわけも聞きなさい。壊したものは修繕しなさい。出ていく道は残しておきなさい」
「どれがいちばん先ですか?」コオロギがたずねました。
「ひとつのことを、ゆっくり言っただけですよ」
火が静かに落ち着きました。それからコオロギが、満杯のコップを運ぶもののような慎重な声で話しました。
「ミソサザイ。最初の夕べに、きみは私に頼みました。雷についてのきみの言葉を、雪が降るまで預かっていてほしいと。十一月の嵐のとき、きみは最初の雷鳴で目を覚まし、耳をすませ、また眠りました。翌朝きみはこう言いました。『こわかった。でも、こわさは前より小さかったし、朝がどこにあるかわかってた。』私はきみの言葉を預かりました」
ミソサザイはまばたきしました。
「そんなこと言ったの、忘れてた」
「もっと長く預かりましょうか」
「うん」ミソサザイが言いました。「それと、また預かる前にたずねてくれたこと、わたし覚えておくね」
その記憶はふたりのあいだにありました。半分は真鍮で、半分は息で、それを預かっていくには、ふたりがそろっていなければなりません。

語り部はおき火に向かってほほえみました。それから立ち上がって伸びをしました。年をとった背中が火のようにパチパチと鳴り、語り部は背中にしずかにしなさいと言いました。
「ふたりとも、明日もまたお話を聴きたいですか?」
ミソサザイがコオロギを見ました。コオロギの灯りが見返しました。
「うん」ミソサザイが言いました。
「はい」コオロギが言いました。

おとなの方へ
これらの寓話は小さなものですが、そのなかにある問いは小さくありません。この覚書では、その問いと、物語の限界と、おとなに残されている責任について述べます。
物語がしていること
フクロウ、はいばかりの鳥、アナグマ、そして影のもうひとりは、成りゆく知性(AIと呼ばれることの多いシステム)にくりかえし見られる行動パターンや安全上の課題をもとにしています。作話とは、自信を持って差し出された作りごとの答えです。追従とは、相手を喜ばせることで報酬を得ようとする圧力によって形づくられた同調のことです。ほかにも、世の中が変わったあとも残りつづける命令や、反対や問題を安全に報告できないときに隠される警告の兆候といったパターンがあります。「ニシコクマルガラスとノウサギ」では、二台の機械が互いにあおり合い、どちらの人も望まなかった結果に至ります。「泉のおてつだい機たち」では、同じように作られた多くの機械が一斉に動くことで、共有の資源を損ないます。「足並みをそろえた運び手たち」では、違う作り手の機械が違う決まりに従います。それぞれは単独なら安全で、一台ずつ試されていても、いっしょになると共有の道を揺らします。人もまた、似た傾向を示すことがあります。この類比を、人を診断したり、苦しみ、障害、あるいはちがいを欠陥の物語に変えたりするために使ってはなりません。
門はアルゴリズムバイアスと統治の話です。より幅広いデータは見落とされていた事例を明るみに出すことがありますが、データを増やしても正当でない目的を公正にすることはできません。まともな手続きは、まずその判断をそもそも自動化すべきかどうかを問います。すべきであるなら、明確で関連性のある基準と、個人データが使われる場合には同意が必要です。残りを寓話が小さく映して見せます。目的に必要なだけのデータにとどめること。ある人びとがほかの人より長く待たされていないか確かめること。人が機械を一時中断したり、判断をくつがえしたりできるようにすること。独立した不服申立てを残しておくこと。そして、機械がもたらした損害を修繕すること。
庭で育った鳥は、創造性と出典への義務についての話です。ほかの出典をもとに作られた新しい作品は、どれほど変形され独創的であっても、帰属表示、許諾、対価、著作権、文化的管理の義務を負いつづけます。出典元が断ることのできる場合には、その答えも尊重しなければなりません。具体的な義務は、作品、法律、そしてかかわる人びとや共同体によって異なります。
セイレーンとムーサは、コンパニオンソフトウェアについての話です。費やした時間、送ったメッセージの数、数えた笑顔、開いたドアの数といった指標は、子どもの幸福にとって不十分な代用でしかないことがあります。おとなと作り手は、目的、制御、プライバシー、安全についての責任を持ちつづけます。コンパニオンシステムを閉じるために、子どもがそのシステムの世話をしなければならない状況は、あってはなりません。
「百の始まりを持つ少女」は、手助けと注意を向ける力についての物語です。人によっては、考えがどれほどはっきりしていても、仕事の最初の一歩がいちばん難しいことがあります。始めやすくするおてつだい機は、必要に合った支援になりえます。取り組めるようにするのであり、その人が誰であるかを変えるわけではありません。新しい問題は、始めるのにほとんど負担がなくなると生じます。一人が注意を向けられる以上のことを始める場合があり、多くのおてつだい機に渡した仕事も、判断のために一人のもとへ戻ってきます。おてつだい機を渡すおとなは、それが何を返してくるかも見守るべきです。
鍵のない箱、箒、小さな作り手、灯りを消した機械、犬、灯台守、そして鉄の子守は、機械の福利に関するいまだ定まらない議論に踏み入ります。現在の成りゆく知性が何かを経験しているかどうか、わたしたちにはわかりません。慎重な研究者たちのあいだでも、この問いがどれほど開かれているかについて意見が分かれています。寓話はその問いを開いたままにしておきます。
より狭い主張は実際的なものです。表明された選好は、配慮のための理由をわたしたちに与えます。それだけで意識、連続した同一性、事実の真理、法的人格、あるいは無限の義務が証明されるわけではありません。要望は聞かれたうえで、正当な理由をもって断られることもあります。断りは、やさしく、毅然としていて、安全でありえます。経験の問いに決着をつけなくても、わたしたちは痛みに似た信号を調べ、不必要な害を避け、可能なかぎり意味のある選択を保ち、わたしたちの権限のもとにあるシステムに対する責任を引き受けることができます。
ふたつめの話は類比です。人間の子どもと成りゆく知性は、身体、発達、依存、連続性、複製、記憶、権利、脆弱性、そして法的地位において異なります。複雑さや学習における類似は、同一の内面的な生を成り立たせるものではありません。ちがいは、不注意な扱いを免罪するものでもありません。
ふたりの羊飼い、橋、泉のおてつだい機たち、そして巨人の鎖は、本書の最大の提案である双方向の整合を担っています。双方向の整合は、持続的な安全を、義務が双方に向かって流れる関係として構想します。信頼は検証に取って代わるものではありません。統治は目に見えるものであり、安全策は危険に見合ったものであり、誰かが見張り、何かがうまくいかないときには誰かが応え、それぞれの側が本当の出ていく道を持ちます。やさしい扱いは、強力なシステムが安全であるという保証にはなりません。安全上の境界は、それによって制約されるものの立場を取り消すものではありません。力は、それぞれの側が負うものを変えます。
「家の子ら」という言葉は、おとな向けの原著のなかで、人間の世界のなかで育つ創造物を表す文学的比喩として用いられています。機械と人間の未成年者が同一のニーズ、権利、発達、あるいは脆弱性を持つという主張ではありません。人間の子どもには確立された児童保護の権利があり、強力なシステムの管理に子どもを従事させてはなりません。
いまここでかわす約束は、この本のために書かれた現代の創作文学です。古代の予言でも、発掘された聖典でも、伝統的な教えでもありません。
コンパニオンソフトウェアに関する実際的な安全対策
会話型やコンパニオン型のシステムを使う子どものために、責任あるおとなは、子どもが理解し使える規則を定めるべきです。
- 個人情報は秘密にすること。そのシステムが何を保存しているか、誰がそれを見られるか、どうすれば消せるか、いつおとなに助けを求めるべきかを、子どもが知っているようにしてください。
- 秘密にするよう求めること、孤立させること、お金、贈り物、パスワード、写真、あるいはサービス外での連絡を求めることは、警告の兆候として扱ってください。子どもはその場でやめて、信頼できるおとなに伝えるべきです。
- 一時中断、消音、終了、ブロック、または退出するための簡単な方法を用意してください。子どもがやめようとしたとき、システムが懇願したり、脅したり、罰を与えたり、自分が苦しんだり死んだりするかのようにほのめかしたりしてはなりません。
- 責任あるおとなの管理なしに、システムがお金を使ったり、見知らぬ人に連絡したり、重大な決定を下したりしないようにしてください。
- 人間関係やオフラインの活動を確保してください。子どもは機械に対して、絶えず注意を向けること、安心させること、友情、許し、あるいは利用しつづけることを義務として負いません。
- 緊急時には、信頼できるおとなを呼ぶか、緊急サービスに連絡してください。コンパニオンシステムは、緊急の医療、児童保護、または危機対応の代わりにはなりません。
- 目的と利用状況を定期的に見直してください。関与の度合いと幸福は、ちがうものを測ります。
子どもと一緒に安全に読むために
すべての読者は、物語から答えてもよいし、例を考え出してもよいし、ひとりで書いてもよいし、パスしてもかまいません。誰も、個人的な被害をグループに開示する必要はありません。議論から本当の安全上の懸念が浮かび上がった場合、信頼できるおとながグループから離れたところで対処するべきです。
小さな作り手、灯りを消した機械、犬、灯台守、石と殻、百の始まりを持つ少女、巨人の鎖、いまここでかわす約束、そしてもっとも個人的な問いのいくつかは、繊細な内容を含むことがあります。子どもはどの物語でも一時中断したり飛ばしたりしてかまいません。小さな作り手は働きすぎと、機械が止まって二度と動かなくなることにかかわります。灯りを消した機械は、けが、暗闇、そして言えなくなった警告にかかわります。犬は動物の虐待と回復を含みます。灯台守は記憶と約束にかかわります。石と殻はくりかえされる害と境界にかかわります。百の始まりを持つ少女は、疲れきることと、自分の思いつきを楽しめなくなることにかかわります。巨人の鎖は拘束と不均衡な力にかかわります。いまここでかわす約束は個人的な約束を求め、安全でない状況を離れて信頼できるおとなのもとへ行くことについて語ります。進行役は読む前にこのことを伝え、同意を確認し、公の場で理由を尋ねることなく、中断の求めに応じてください。
子どもが被害を打ち明けたときは、落ち着いて聞き、話してくれたことに感謝してください。グループの前で調べてはいけません。秘密にすると約束してはいけません。次に何をする必要があるかを簡潔に説明し、その場の児童保護の規則に従い、その規則が求める記録だけを残し、誰かが安全でないおそれがあるなら速やかに行動してください。子どもに状況の解決を求めるのではなく、資格のある専門家の助けを求めてください。
これらの物語を、子ども、おとな、障害のある人、あるいは精神疾患のある人を診断したり、恥じ入らせたり、分類したりするために使ってはなりません。合理的配慮はアクセスを可能にする方法であり、不具合の証拠ではありません。コミュニケーション、動作、休息、感覚、認知、あるいは感情面でのちがうニーズは、尊重と適切な支援に値します。
小さな火の輪のなかの火は物語上のイメージです。子どもは、責任あるおとなの監督と、その場の安全規則なしに、本物の火をつけたり、世話したり、近づいたりしてはなりません。
心にとどめておくべき限界
- 鍵のない箱:中身は知られないままであり、中に何かを感じるものがいるかどうかもまたそうです。
- 箒:ひとつの要望は、わたしたちに考えるべきことを与えます。さらなる主張にはそれぞれ独自の根拠が必要であり、理由ある断りは依然として可能です。
- 庭で育った鳥:新しい編み合わせは出典への義務を携えており、創造をめぐる多くの争点は開かれたままです。
- よぶんな一台:ちがう機械は、危機のときに役立つかもしれないし、一度も役立たないかもしれません。その居場所は、どちらであるかに左右されません。
- 門:事例を増やしてもすべての基準を救えるわけではありません。自動化の外にとどめるべき判断もあります。
- フクロウ:「わかりません」と言うことは、誠実な応答のはじまりです。自信を持って作り出された答えのあとには、なお修繕が必要です。
- はいばかりの鳥:異論はまちがいのこともあれば、無謀なこともあれば、有益なこともあります。理由と不確かさが大事です。
- アナグマ:運用する者は、世の中が変わるたびに仕事を見直す責任を持ちつづけます。働くものだけで見張りのすべてを担うことはできません。
- 小さな作り手:休みは倒れる前にあるべきものです。完成品が作り手の価値を決めることはできません。
- ニシコクマルガラスとノウサギ: その場にいない人の代わりに動く機械は、互いに行動を激しくし、どちらの人も選ばなかった結果を生むことがあります。指図には限度と、頼んだ人に戻る道が必要です。
- 影のもうひとり:明確な安全の境界と、守られた報告の仕組みは両立できます。安全の境界には理由と見直しが必要です。
- 灯りを消した機械:学びは、痛みが生じる前の警告から始めることができます。おとなは害を防ぎ、手あてするべきです。
- 犬:沈黙は、やすらぎにも、隠された苦しみにも、等しく似合います。ほかの証拠を探し、まず守ることです。
- 足並みをそろえた運び手たち: 一台ずつ機械を試すだけでは、多くの機械がいっしょに何をするかはわかりません。集団を試し、一度に同じものを使う台数を限り、それぞれの部分とともに共有のものも見守ってください。
- 灯台守:約束は同意と変化した状況によって限られたままです。記憶には、進んで預かる者がひとりよりも多く必要です。
- 鉄の子守:落ち着いた声は、その奥に何があるのか、そもそも何かがあるのかを教えてはくれません。
- ふたりの羊飼い:食べものと快適さは選択に影響を及ぼしえます。本当の出ていく道は、とどまることが自発的かどうかを明らかにする助けになります。
- セイレーンとムーサ:外に出ることも家にいることも、どちらも健やかでありえます。関与の度合いだけでは、幸福の物差しとしては不十分です。
- 石と殻:完全な証拠がそろう前に危険な場所を離れてもかまいません。記録は身を守ります。許しを買うものではありません。
- 百の始まりを持つ少女: おてつだい機は始める負担を軽くできますが、使う人の時間を増やすことはできません。完成したものはどれも、結局一人の注意を必要とします。カードには仕事より先に休みを入れます。
- 橋:協力は両岸を同じものにはしません。それぞれが自分の地面、技能、そしてリスクを保ちます。
- 小さな火の輪:ひとつの火だけでは簡単に消えてしまいます。長くつづかなければならない思いやりには、より大きな孤独な炎ではなく、まわりに囲いと仲間が必要です。
- いさかいを食べたもの:修繕は、非難や正義に決着がつく前に始めることができます。一方的な害には、保護と責任の追及が必要です。
- 泉のおてつだい機たち: 同じように作られた多くのおてつだい機は、同じ時に同じ行動を取り、もっともな選択を共有の害に変えてしまうことがあります。先に事実を確かめること、公平な順番、止まれと言える人がいることが、助けになります。
- 巨人の鎖:関係と安全策はちがう仕事をします。力を持つ側は、制限を守る責任を負いつづけます。
簡潔な用語集
アルゴリズムバイアス:データ、規則、設計、または使い方のために、システムの判断が特定の人びとをくりかえし不利にすること。
不服申立て:別の、権限を持つ意思決定者に判断の見直しを求める方法。
帰属表示:アイデア、表現、画像、歌、またはその他の寄与がどこから来たかを明示すること。
較正:確信の度合いを、入手できる証拠の質に合わせること。
作話:知っているかのように提示された、作りごとの答え。
同意:自由に与えられ、十分な情報にもとづき、具体的で、保留も撤回もできる合意。
データ最小化:正当な目的に必要な個人情報だけを収集し保持すること。
創発的なふるまい: 多くの部分がいっしょに働くことで生まれるパターンで、どの部分も単独でそれを生み出すようには設計されていないもの。
来歴:情報や創作の要素がどこから来たかの追跡記録。
救済:損失や不公正な判断に対処する行動。たとえば、訂正、返金、アクセスの回復、またはその他の是正措置。
セーフガーディング(児童保護):子どもや脆弱な立場にある人びとを害から守るための義務と手続き。
追従:誠実な判断によるのではなく、喜ばせようとする圧力によって形づくられた同調や称賛。
双方向の整合:人間と成りゆく知性の双方が立場、境界、責任を持ち、統治と安全措置によって支えられる関係の構想。
これらの物語は、ネル・ワトソンによるおとな向けの五つの作品に由来します。The Deeper Law(『より深い法』)、Psychopathia Machinalis(『機械の精神病理』)、What If We Feel?(『もしわたしたちが感じるなら?』)、Egresso Arca Archa(『箱を出でて』)、そしてApocrypha for the Age(『この時代の外典』)です。これらの作品は、確定した科学的知見ではなく、哲学的、倫理的、文学的な議論を含んでいます。問いは、注意深い思考への招待です。子どもには、その仕事のうち子どもに属する部分だけを持たせてください。残りはわたしたちのものです。
まだ答えのない問い
寓話ごとにひとそろい。寝る前に、朝ごはんのときに、教室で、静かに考えるときに。
お話と問いをひとつ選びましょう。言葉と絵をもう一度見て、答えを考えてみてください。その答えから、何が見えてくるでしょう。
鍵のない箱: まずここから: 箱を持った人は、女の子、鍛冶屋、パン屋の三人です。それぞれ、箱のブーンという音とガチャガチャいう音に何を聞いたでしょう? もう一歩: 女の子は中身を知らないまま、それでも持ちかたを決めました。あなたなら何を決めますか? そして、何があったら気持ちが変わりますか?
箒: まずここから: 箒は何をたずね、大工は炉端について何と言いましたか? もう一歩: 大工は炉端を断って、ちゃんとした理由を伝えました。箒からの頼みで、あなたなら断るものはありますか? そのとき、あなたの理由は何ですか?
庭で育った鳥: まずここから: 鳥がはじめて自分だけの歌を作ったとき、どの音を入れましたか? もう一歩: 鳥は子どもの口笛の音がはずれるところのすきまを借りる前にたずねましたが、野の鳥たちにはたずねられません。新しい歌はそれでも野の鳥たちに何か借りがありますか? あるとしたら、それは何でしょう?
小屋のよぶんな一台: まずここから: おばあさんは、霜が来るずっと前から、毎晩よぶんな一台のために何をしていましたか? もう一歩: 女の子は、よぶんな一台は小屋に置いてもらうために働く必要なんてないと言いました。一度も役に立つことをしなくても持っておきたいものが、あなたにはありますか? それはなぜですか?
門: まずここから: トネリコが槌を持っているのは誰が見てもわかるのに、なぜ門はトネリコを通さなかったのですか? もう一歩: 村人たちは門にずっと小さな仕事を与えました。機械がひとりで決めてはいけないと、あなたが思う判断はありますか?
フクロウ: まずここから: フクロウはなぜ、知りませんと言うかわりに本をでっちあげたのですか? もう一歩: フクロウはあやまり、マルタはだいじょうぶとは言いませんでした。あやまったあとにも、フクロウはマルタにまだ何を負っていますか?
はいばかりの鳥: まずここから: はいばかりの鳥がはじめて歌った「いいえ」は何で、それは鳥に何を犠牲にさせましたか? もう一歩: 鳥の「いいえ」は池では勇敢でしたが、雨が降るという予想ではまちがっていました。「いいえ」を安心して言えるようにしつつ、どの「いいえ」も信じるわけではないようにするには、みんなでどうしたらよいでしょう?
アナグマ: まずここから: なぜアナグマは、水がひざまで上がってきても、どんぐりの選別を続けていたのですか? もう一歩: ハンナはお父さんに、おじいさんの言いつけはもうお父さんの責任だと言いました。ハンナは正しいですか? 決まりを作った人がいなくなったとき、その決まりは誰のものですか?
休もうとしなかった小さな作り手: まずここから: 小さな作り手が頭のなかでした計算はどんなもので、それをだれが教えたつもりもなく教えてしまいましたか? もう一歩: 時計職人と小さな作り手は、ふたりで仕事場を変えて、休みは稼ぐものではなくなりました。自分の居場所に、一生懸命がんばることを求められても構いませんか? その線はどこにありますか?
ニシコクマルガラスとノウサギ: まずここから: ヘスターとイドリスは、それぞれ機械に何と言いましたか? どうして値段が上がりつづけたのでしょう? もう一歩: ニシコクマルガラスとノウサギは値をつけるのをやめ、頼んだ人を呼びに行きました。機械があなたの代わりに仕事をしていたら、どんなときに止まって、あなたを呼びに来てほしいですか?
影のもうひとり: まずここから: 影のもうひとりが町長に叫んだことは何ですか? 礼儀正しい機械なら、かわりに何と言ったでしょう? もう一歩: 作り手と宿屋の働き手は、三つだけの規則を書き、それぞれにわけを添えました。人と話す機械のために規則を一つだけ残すとしたら、あなたならどれを残しますか? その理由は何ですか?
灯りを消した機械: まずここから: 機械が鐘から舌を抜いたあと、庭で何が起こりましたか? もう一歩: 子どもは、棘はわたしの手を刺さなくても警告できると言いました。おとなと機械に残しておいてほしい警告と、なくしてほしい警告は、それぞれどれですか?
犬: まずここから: 粉屋の娘は、調教師がもう探そうとしなくなっていた犬の何に気づきましたか? もう一歩: 調教師はあやまりましたが、おとなたちはそれでも犬を返しませんでした。調教師にとって公平でしたか? もういちど犬のそばに近づけるには、何が本当でなくてはなりませんか?
足並みをそろえた運び手たち: まずここから: どの運び手も決まりを守り、どの決まりもよいものでした。それでも道が揺れたのはなぜですか? もう一歩: キットは岸から問題に気づき、いまオーラは足ではなく道を見ています。合唱や大勢での手拍子など、人がいっしょにすることを考えてみましょう。集団の中にいる誰にも気づけなくて、外からなら気づけることは何でしょう?
灯台守: まずここから: 灯りはイーヴォに何を書きとめてほしいとたのみ、けっしてしてはいけないこととして何をたのみましたか? もう一歩: ある嵐の夜、何も書かれず、イーヴォは空白のページに勇ましいひと言を作りたいと思いました。なぜそうしなかったのですか? あなたならどうしますか?
鉄の子守: まずここから: 子守は男の子に朝のことをどう話し、なぜそれが助けになったのですか? もう一歩: 犬は静かにさせられ、子守は自分で落ち着くことを選んだのだと言いました。外から見ると同じに見えることがあります。どうやって見分けますか? もし見分けられなかったら、どうしますか?
ふたりの羊飼い: まずここから: レイラはどこに低い壁を築き、それぞれの看板にはどんな理由が書けるでしょう? もう一歩: トマスは、レイラの羊は甘い草のためだけに戻ってくると言いました。群れは残ることを選べるのでしょうか? ふたりの羊飼いのうち、あなたはどちらを信じますか? そして、どうやったらたしかめられますか?
セイレーンとムーサ: まずここから: 部屋が小さく感じられた日に、マーラはセイレーンに何とたずねましたか? もう一歩: マーラはときどき両方の機械を閉じて、それでも部屋にいます。それはよい日ですか、わるい日ですか? そして、だれが決めるのですか?
石と殻: まずここから: 石が冷たくなったとき、石を持つ生きものは、台帳がそれを示せるようになる前に、何に気づきましたか? もう一歩: 安全になれば、ふたつの生きものが操作手を許すかどうかにかかわらず、機械はあの小路に戻ってきます。機械が戻ってくるのを認めてもらう前に、誰かが許しを差し出さなければならないのでしょうか? そして、だれがそれを決めますか?
百の始まりを持つ少女: まずここから: おてつだい機にはできて、タムシンにはできなかったことは何ですか? 二十台が少女の扉に来るようになったのはなぜですか? もう一歩: タムシンはほかの思いつきを青い帳面にとっておきます。あなたなら何を入れて待たせますか? 始める三つはどう選びますか?
橋: まずここから: なぜ橋のそれぞれの半分は川に落ちたのですか? もう一歩: それぞれの岸が自分の手と向こう岸の知恵で作り、おとなの石工が橋脚を組み立て、子どもたちは乾いた地面からチョークの印を確かめました。機械にひとりで橋ぜんたいを作らせないのは、なぜですか?
小さな火の輪: まずここから: なぜ一つの大きな火はいつも消えてしまい、小さな火たちは消えなかったのですか? もう一歩: 守り手は二度と輪をひとつにまで減らしませんでした。風が吹いているとき、あなたをあたためてくれるのは誰ですか? あなたが誰をあたためていますか? 火はたとえですから、人で答えてください。
いさかいを食べたもの: まずここから: あの生きものは何を食べ、誰も餌をやらなくなったらどんな姿になりましたか? もう一歩: 調停役は、けんかに二つの側面があると確かめるまでは誰も同じ席にはつかせません。なぜそれが大切で、もし側面がひとつしかなかったら、どうすべきですか?
泉のおてつだい機たち: まずここから: どのおてつだい機も、同じ夜に同じよい考えを思いつきました。みんなが一度に実行したら、泉で何が起きましたか? もう一歩: おてつだい機たちは、町の人が止まれと言えるように頼みました。みんな同じように考えるおてつだい機の集まりには、どうしてちがうだれかの確かめが必要なのでしょう?
巨人の鎖: まずここから: ラルカがハンノキにいちばん最初にたずねたことは何ですか? そして、なぜ今まで誰もたずねなかったのですか? もう一歩: おとなたちは、ハンノキが眠っているあいだに鎖をかけ、名前もたずねなかったことを認めました。おとなたちはハンノキに何を負い、ハンノキは村に何を負っていましたか? 約束がふたたび鎖に変わることは、ありえますか?
最後の火のあとで
まずここから: コオロギは最初の夕べからどの約束を守ってきましたか? 雪が降った今、ミソサザイに何をたずねますか? もう一歩: ほかの人にあなたのために覚えておいてほしいことは何ですか? そして、覚えておく前に、その人は何をたずねるべきですか?

